蒼白の闇、鮮紅の影

VAMPIRE:THE DARK AGES

我が子らよ、今こそ“長き夜”。
学問の時代は倒れ、忘れ去られ、
帝国の時代は自らの塵の中にくずおれた。
今こそ“暗黒の時代”なり。

かしこを見よ、我が子らよ。光無き荒れ果てた地を。
そこには牙と爪のほかに法はない。
翻って人間の町を見よ。
そこでは、日の没した後、我らは君主と等しき者。

用心せよ、我が子らよ。汝らの永遠の敵を。
野蛮なるもの、皮を変じるもの、狼のごとく狩るものを。
火と剣を用いる騎士、魔女殺したちを。
地獄そのものの燃えさかる萌芽を。
だが、それにも増して、我が子らよ、たがいを用心せよ。
なんとなれば、同族こそ常に我らの最強の敵なるがゆえ。

我が子らよ、今こそ“長き夜”。
汝らの時代なり。

DARK MEDIEVAL WORLD

 「ヴァンパイア・ザ・ダークエイジ」は、「ヴァンパイア・ザ・マスカレード」の姉妹編として発表されたゴシックホラー・ロールプレイングゲームである。12世紀末を中心とした中世盛期のヨーロッパを舞台とするこのゲームは、“仮面舞踏会”以前のヴァンパイアたちの生き様を描いており、古城や都市に住まう闇の貴族たち、という古典的で豊穣なイメージを喚起してくれる題材に、歴史的なリアリティを付け加えた独創的なものに仕上がっている。

 夜の闇と月明かり、燭台と松明、古びた石垣と荘厳な城塞、十字架と聖歌に彩られたこの世界で、新たな史劇が展開されることになる。


暗黒の中世

The Dark Medieval World

 西洋の中世というと人はどんなイメージを浮かべるだろうか?
 騎士、剣、城、貴婦人、農夫、そして狂信的な教会と悪魔信仰。あるいは魔女狩りという人もいるかもしれない。「ヴァンパイア・ザ・ダークエイジ」が舞台とする“中世暗黒世界”(Dark Medieval World)はそれらがすべて混然と存在している世界。一千年前に実際にあった世界の鏡像。闇夜に魔物と狂信が人々をおびやかしている世界である。

 時代は12世紀末。第2回十字軍が遠征に旅立ち、中東の地が血で紅く染まった頃。
 ヨーロッパはいまだその大半が森に覆われ、そこに点在する領土を巡って、強欲な封建貴族たちが争いあっていた。幾世代にも渡る恩讐の果てに、旗に縫い取られた紋章のもと、血塗られた剣と剣が火花を散らし、臓腑をえぐり、累々たる屍を野原にさらした。後に言われるがごとき騎士道はいまだ夢想家の理想にしかすぎず、この世の強者を定めるのはただ力のみ。

 戦禍と飢餓にさいなまれる農村の民草は、森や山で外界から遮断され、よそ者を嫌い、地獄に住む悪魔や闇に潜む魔物におびえて十字を切っていた。自らが搾取されているのだという自覚もないままに、彼らは泥をはいずり、高き城に住まう領主の怒りを怖れ、曇天のもと凶作を憂えるばかりの悲惨な暮らしを続けていた。魂の安寧をもたらすはずの僧侶すら、祭儀の見返りとして、石の修道院や教会から声高に貢ぎ物を要求した。ただ生き続けること、そのことですらこの時代の庶民にとっては難事であったのだ。そうした中では、アウトサイダーは存在すら許されない。異質なるものへの恐怖は、激怒の炎となって田舎の山村をいくつも席巻していったのである。やがてそれは悪名高き“異端審問”に帰結するのだ。

 一方、農村を離れれば、街道の結び目に都市が座していた。そこは堅固な石壁に囲まれ、一見するとにぎやかしい別天地にも見えたが、その街路はまがりくねって悪臭と汚濁に満ちていた。人いきれでむせかえるほど混み合う路地、屋根つきあわせるほど立ち並ぶ店、その狭間で横行する凶行と謀略。都市では農村とはあまりにも時の流れが異なっていた。その奔流に身を投じた者、あるいは投げ込まれた者の多くが、どす黒い欲望の陥穽へと落ちていった。そして都市といえどなお、恐ろしい夜を照らすものは松明とかぼそい蝋燭だけであることに変わりはなかった。灯りと石壁は影を作り出し、その中には遙けき昔より化け物たちが棲み潜んでいた。

 地中海沿岸の退廃した貴族たちは、美しき彫刻の無惨な瓦礫の間で、数百年の昔に去ったローマ帝国の残滓を夢想し続けていた。北の森と湖と山の狭間では、荒々しいゲルマン人の末裔たちが数知れぬ王国を築き、父祖の遺産を巡って幾多の争いを繰り返していた。イベリアの半島やブリテンの島々では、新たな王たちが豪族や異民族を征服する戦いに明け暮れていた。はるか東欧の険しい山の中では、怖れおののく土着民を従え、冷酷な吸血鬼君主たちがその亡霊のような古城から血の圧政を敷いていた。そして、東の彼方、聖地の座す砂漠では、十字架と三日月との果てしのない虐殺と流血の惨禍が繰り広げられていたのである。

 この暗黒のヨーロッパ世界に君臨するのは、神の代理人を自任し、最も神から遠ざかったキリスト教会。そして闇に生き、自らの存在の依って立つところを求めて永劫の夜をさまよい続けるヴァンパイア。だが、彼らとて闇夜の霧のヴェールに隠された向こうに潜む謎を知っているわけではない。森の彼方、山の奥深く、砂漠の果てからは、いまだ知られざる脅威がひたひたと迫ってきていたのである。それは人狼、あるいは亡霊、あるいは妖術師、そして古の妖精たち……。地獄の門もすぐそばにあった。悪魔を崇め、奈落の力を求める者は、この弱肉強食と苦難に満ちた時代にあっては、王侯や教会であっても潰しきれぬほど数多くいたのである。

 後世の人々はこの時代を“暗黒時代”と名付けた。だが、闇はイコール静ではない。そこに渦巻いた数々の力を、感じることができるだろうか?


呪われしもの

The Damned Cainites

 プレイヤーは、この闇多き世界で“呪われしもの”ヴァンパイアとして生きて行かねばならない。それはどんなことなのだろうか?

 彼らは強大な超能力を持ち、並の人間など腕のひとふりで倒し、どんな勇者でもひとにらみで屈服させることのできる夜の一族だ。だが、血を飲まねば生きてはいけない。少なくとも活動ができない。血は生命力の源泉。そして地上で最も生命力に満ちあふれた種族は何といっても人間である。獣を喰らう者もいるにはいるが、人の生き血ほどの甘露はまたとないのだ。それゆえ、ヴァンパイアは歴史の始まりから、光の中に生きる人間たちを闇の中から操り、食らってきた。何よりヴァンパイア自身が人間より忌まわしき“抱擁”によって創り出される存在なのだ。人間との関わりがいつの時代も彼らにとって最大の関心事であることは疑いがない。

 彼らの始祖は旧約聖書に現れる最初の殺人者カインだと言われている。それが真実かどうかは定かではないが、ヴァンパイアたちは自らを誇らしげに“カイン人”(Cainite)と呼んでいる。事実なのは、始祖に世代が近ければ近いほど、カイン人は強大な潜在力を持つことができるということだ。その力を使って人間を支配することなど、簡単なことだろう…おそらくは。

 だが、現代とは違い、この時代の人々はカイン人が現実に存在することを“知っている”。それは無知な迷信かもしれない、カトリック教会の修道士たちが研究した成果かもしれない。だが彼らは知っているのだ。自分たちに混じって、自分たちの血をすする魔物がいることを。それらが悪しき誘惑をささやき、人を魔道へといざなうことを。

 それでも、カイン人たちの中には、己の力を過信し、この世の真の支配者を気取り、人間を劣った種族・食らうべき餌と見なしている者があまりにも多い。賢明なる者たちによって、警鐘は何度も鳴らされてはいるものの、その認識と現実の齟齬はもはや動かしがたいものとなっている。そして、その軋轢はあと一・二世紀の後、恐るべき“異端審問”という形で噴出することになる。
 いわばカイン人たちは栄華の最後の饗宴で踊り狂っているに等しい。

 中世盛期のカイン人社会には、個々の結社めいた集団はあるものの、全体を統率する組織はない。現代の“カマリリャ”も“サバト”もないのだ。カイン人を掣肘するのは、いにしえより血筋に伝えられてきた掟と、自らの本性、そして警戒心のみなのだ。人口が少なく、地域間の連絡もとぼしいこの時代のヨーロッパでは、ひとつの都市とその周辺を支配する公子が、文字通り夜の一族の支配者としてその地域に君臨している。彼(彼女)の立場と立ち振る舞いは、やはり封建領主のそれであり、人間と同じように、力の劣ったカイン人たちに保護・臣従の関係を強制している。そしてもちろん、その体制に反発し(あるいは追放され)身の危険を冒してまでアウトサイダーとなる者も少なくはない。

 カイン人の社会は好む好まざるにかかわらず、人間の社会の鏡像にすぎない。人間の社会が混乱と無秩序の中にある“中世暗黒世界”では、カイン人たちもまたその無秩序と無縁ではいられない。数々の王国が興亡するのと時を同じくして、カイン人たちも数限りない抗争を繰り返しているのである。この永遠の同族殺しを彼らはそれぞれの主張をかかげながら“ジハド”(聖戦)と呼んでいる。だが、世に聖戦と呼ばれたもので真に聖なる戦いであった例がないように、この血みどろの争いもしょせんは永劫の命を得た者たちの、おぞましい欲望のぶつけ合いでしかない。


戦乱の道程

Paths of Chaos and War

 5世紀、高度な学芸と文化を誇った古代文明は、ローマ帝国の瓦解によって終焉を遂げた。

 北方より押し寄せるゲルマン蛮族たちの勢いはとどまるところを知らず、かつて平和を享受し、爛熟した文化を謳歌していた南方の民草はただ戦禍から逃げまどうことしかできなかった。栄光を誇ったローマ貴族たちも相次ぐ内紛と戦乱の中でそのほとんどが滅亡の憂き目を見た。蛮族の長、傭兵あがりの豪族、帝国の再興を目指す将軍、そしてローマの国教として巷間に普及していたキリスト教会、ありとあらゆる勢力が偉大な文明の後継者を自任して相争った。
 ヨーロッパ全土は未曾有の乱世に陥ったのである。

 ローマ帝国を影から支配したカイン人たちは、生き残りをかけて必死の闘争を繰り広げた。新たな王侯の許に忍び寄り、教会の聖職者を籠絡し、崩壊した文明の中から興起した石の街にその居を定めていったのである。一方、蛮族や異民族の間に勢を張っていた諸氏族は、大ローマの滅亡を好機と見て、数世紀にわたり積もった恨みを晴らすべく、四方からヨーロッパへの侵入をはかった。こうして激変する時代の流れに乗り切れない長老たちの多く、そして彼らの生き残りのために捨て駒とされた無数の若輩・幼童たちが、惑乱と恐怖の中で倒れていった。

 最初の混乱期がおさまり、9世紀にシャルルマーニュ(カール大帝)によって、山深い東欧を除くヨーロッパは再び統一を果たした。この時期に、中世における各氏族の勢力圏がほぼ定められた。中でも、ローマの崩壊後ヨーロッパの覇者となったゲルマン王侯の間に基盤を築いたヴェントルー、地中海南北両岸に留まり、旧文明の残滓色濃いイタリアとイベリア、そしてイスラム教北アフリカに鎮座したラソンブラ、そして暗き森と峻険な山に覆われた東欧に鉄の支配を及ぼすツィミーシィ、の三氏族は、ヨーロッパ最強の力を持つに至った。

 古代カルタゴの滅亡後、おのおのの理想と革新を求めて各地に散らばったブルハーたちは、中世でも終わり無き闘争を続けていた。暗黒時代を嫌い、東方のビザンティンやイスラム圏に文芸の精華を求めたトレアドールは、シャルルマーニュの帝国の許でフランスに文芸復興の華を咲かせた。太古より生と死と不死の謎を求めてやまない不気味な氏族カッパドキアンは、ヨーロッパじゅうに点在する残された地下墳墓や人里離れた山奥で、死骸と霊魂を操る冒涜的な儀式を続けていた。ノスフェラトゥは、荒野や石壁の地下を住処とし、その多くが自らの呪いの救いをキリスト教へと求めていった。マルカヴィアンは道化として宮廷に入り込み、または狂人として怖れられた。

 ヨーロッパの境の彼方では、未開の蛮族に立ち混じり文明を軽蔑するギャンレル、古きエジプトと砂漠を本拠とし、堕落の技を浸透させるセトの信徒、そしてイスラムのきらびやかな文明の影からカイン人の血を狙うアサマイト、といった氏族が虎視眈々とその牙と爪を研いでいた。ラヴノスは飄々と各地を経巡り混沌を振りまいた。賢者サウロットの末裔サルブリ氏族は、聖なる癒し手、そして熱烈な悪魔狩りとしてさまざまな場所に出没していた。

 やがて、シャルルマーニュの死とともに帝国は分裂し、ヨーロッパはフランス、ドイツ、イタリアの三王国に分裂した。この国々もいくらも経たぬうちに王国とは名ばかりのものとなり、地方の軍事貴族が兵馬を率いて領土と勢威を相争う戦乱の巷と化した。このヨーロッパの混乱をさらに深めたのは、突如として極地より来寇したヴァイキングたちだった。細長い竜頭の船に鈴なりになって上陸したこの蛮族戦士たちは、王国や教会などものともせずに各地を荒らし回り、住み着き、数世代を経て地元民として定着していった。勇猛で冒険心に富んだ彼ら北方人は、ブリテン島を征服してイングランド王国を建設し、南イタリアに転戦してシチリア島に強大な王国を築いて、大陸の諸王らとしのぎを削った。

 めまぐるしく変転する情勢の中、夜の闇の中では相も変わらずカイン人たちの暗闘が終わることなく続けられていた。しかし、11世紀のあるとき、カイン人の社会を震撼させる出来事が東欧の山奥で起こったのである。

トレメールの簒奪

 “森の彼方の土地”トランシルヴァニアは、ドナウ川の北、カルパチア山脈と広大な未開の森に挟まれたヨーロッパの秘境だった。この一帯は、数千年の昔から恐るべきツィミーシィの吸血鬼君主たちによって鉄の支配が敷かれていた魔術と呪いの土地だった。そこにはいにしえの魔力と神秘がいまだ色濃く息づいており、西欧のカイン人たちにとっては立ち入ることすら滅びを意味する禁断の国でもあったのである。外界でローマが崩壊し、ヨーロッパが混沌に陥ったこの時代にあっても、ツィミーシィは、東欧の諸部族の族長たちをグールとして隷属させ、古代と同様に自らの異質な哲学と奥義の研究に没頭していた。

 だが、不敵にも彼らに挑戦する者が現れた。それはエジプトとギリシアの伝統を受け継ぎ理論による魔術を駆使する“ヘルメス魔術師”と呼ばれる輩の一派だった。指導者の名から“トレメール”と名乗っていたこの魔術師たちはトランシルヴァニアのケオーリス(Ceoris)という山奥の地に住み着いていた。そして、際限のない野心に憑かれていた彼らは、不死を求めるために途方もなくまがまがしい所業に手を染めたのである。それは、ツィミーシィの長老のひとりを捕らえて拷問し、実験によって“抱擁”の秘密を解き明かすというものだった。

 賤民たる人間ふぜいが同族のひとりを虐殺し、あまつさえカイン人に成り上がろうとしたという事実は、ツィミーシィ氏族を激怒させるに充分だった。“悪鬼”たちはすぐさま不遜な魔術師どもを滅ぼすべく攻勢に出た。同様に、この未開の地に流浪していたギャンレルやノスフェラトゥたちも、邪悪な妖術師を倒すために動き出した。トレメールたちの運命は風前の灯火と思われた。しかしここでカイン人の歴史上、最も驚くべき事件が起こり、彼らは生き残ることに成功したのである。

 それは、トレメールの指導者が、サルブリ氏族のアンテデルヴィアンにして創始者たるサウロットを同族喰らいする、という出来事だった。どのような方法によってか、この旧き者の寝処を発見した彼は、眠りについていたサウロットの血をあまさず飲み干し、その力を奪ったのである。かくして、トレメールの一党はカイン人の“氏族”として昇格を果たし、自ら編み出した新たな訓え〈魔術〉の力と、魔術実験によって生み出した吸血種族ガーゴイルの投入によって、ツィミーシィ他の猛攻を耐え忍ぶことができた。その一方で、トレメールたちはサウロットの血筋の根絶にも邁進した。“サルブリは魂を奪う”という風説を巧妙に流し、他のカイン人たちも巻き込んでこの三眼の“ユニコーン”たちを狩りだし滅ぼしていったのである。

十字軍運動と都市の隆盛

 夜の東欧がトレメールの勃興によって激震する中、1096年にローマ教皇ウルバヌス2世の宣言によって世に名高い“十字軍運動”が始まった。聖地エルサレムとパレスチナの地をイスラム教徒の手から“解放”するという大義を掲げたこの運動は、西欧諸国から熱狂的な信者や食い扶持と新たな領地を求める貴族の子弟を糾合した大遠征軍を作り上げることになった。最初の遠征行でイスラム勢力の内紛に乗じてエルサレムとその周辺地域を征服したヨーロッパ人だったが、やがて逆襲が始まると一転して守勢に立たされ、以後、キリスト教軍が押され気味の消耗戦が実に二世紀近くにわたって延々と続くことになった。

 カイン人たちもこの時代潮流の中にあって、十字軍運動に大きく関わっていくことになった。貴族身分出身のカイン人の多くが宗教的情熱と冒険心を胸に砂漠の地におもむき、異邦のカイン人、特にアサマイトたちと血みどろの戦いを繰り広げていった。また、ヨーロッパの中でも宗教的な熱狂が広がったため、教会を中心にカイン人の権力闘争は熾烈を極めていったのである。

 その一方で、農地の拡大や商品の多様化によって各地で順調な成長を続けていた地方都市が、地元領主の支配をある程度排除して、有力市民から成る都市参事会を中心とする自治権を獲得するようになっていった。森林を伐採して拡大を続ける農耕地を後背に擁した都市は隆盛し、交通の要衝となる大都市では、貴族をもしのぐ豪商が現れるようにもなっていった。西欧の多くの街も同様に発展を続け、多くの住民をかかえるようになっていったのである。人口が増えれば当然のようにカイン人もそこへ流入し、中には有力者層に浸透している長老たちの権威を拒絶し無視する若者たちも現れるようになった。都市の膨張につれてカイン人の暗闘もまた、長老どうしの争いだけではなく、自由を求める若手との世代間闘争の色合いも強めていったのである。

 中世の都市は、カイン人にとって、石壁の中の権力争いと周縁からの脅威や圧迫とが混じり合う魔窟のような場所だった。それでも、焔に惹かれる蛾のように、人々の雑然とした活気に引き寄せられて、多くの吸血鬼たちが繁栄する都市の囲いの中を住まいとしたのである。この頃、人口千人に対してカイン人が1人いたと言われているが、あまり定かではない。

12世紀末

 そして時代は12世紀の末を迎えた。

 聖地エルサレムはイスラムの英雄サラディンによって奪回され、イングランドのリチャード獅子心王、ドイツのフリードリヒ赤髭王、フランスのフィリップ王といった名だたる英雄王が史上三回目の遠征軍を率いて彼に立ち向かったが、聖地の再奪還は成らなかった。王たちは東方より帰還の後は、再びおたがいの勢力争いに没頭し始めている。イングランドでは十字軍遠征に忙殺されて国を省みない王に対して不満がつのりつつある。フランスは強大な地方大貴族どうしの争いと、弱体化しきった王権を再起しようと奮闘する王の活動によって戦乱が絶える間もない。ドイツではローマ帝国の後継者を名乗る皇帝が、国内の対立勢力の圧伏と混乱の極みにあるイタリアへの遠征を画策し、バルト海沿岸ではドイツ騎士修道会が武力による東方植民を展開している。

 国際都市コンスタンティノープルを首都とするビザンティン帝国は、ローマの正統な末裔として勢力を保っているが、イタリアへ侵攻した往事の勢いはもはやなく、東より迫るアラブ人の脅威におびえ、西からやってくる十字軍の暴虐に恐怖する日々を送っている。そして業病ともいうべき宮廷闘争はもはやどうにもならないほど混迷してしまっている。

 イベリア半島では、約二百年にわたって続いている北部のキリスト教諸王国と南部のイスラム教勢力との一進一退の攻防戦がまだ終わりを見せていない。“レコンキスタ”(国土回復運動)とキリスト教側から銘打たれたこの戦いの背後では、ローマ時代より沿岸部の都市を中心に根城を築いてきたラソンブラと、キリスト教軍に乗じて入り込んできたヴェントルー、トレアドール、そしてカルタゴの末裔たるブルハーによる複雑な闘争が演じられている。特にラソンブラは、イスラム側とキリスト教側に二分されているという深刻な問題を抱えている。

 十字軍運動によって頂点に達した感のあるローマ・カトリック教会は、いまやヨーロッパ最大の単一組織として、全土に強大な権威を敷いている。小村に住む僧侶から、都市の司教、そしてローマの枢機卿・教皇に至る厳格な階級制度のもとで、教会は神の意志を伝え、救済を仲介する唯一無二の存在として君臨しているのだ。教会に逆らうことは魂の救済を捨て去ることと同義であり、中世の人々にとってそれは死よりも恐ろしい運命なのである。だが、この聖なる組織にもカイン人の堕落の手は伸びている。ラソンブラとセトの信徒が主な活動者であり、彼らの策謀によって聖職者の間にも“悪魔に魂を売った”者は少なくない。また、トレアドールは教会芸術に大きな興味を示し、その振興に力を入れている。ヴェントルーの騎士やブルハーの闘士たちは聖職者や信徒をたきつけて“聖戦”や“浄化”を行わせることもしばしばだ。一方、ノスフェラトゥをはじめとするみじめな境遇のカイン人の中には、教会に救済を懇願する敬虔な心を持つ者が数多くいる。いずれにせよ、中世のカイン人の社会を見る上で、ローマ・カトリック教会は決して欠かすことのできない存在である。

 イスラム教圏ではトレアドールとアサマイト、そしてセトの信徒が強い勢力を持っている。彼らは世界最高の文明を担う者たちとして、その多くがヨーロッパの“野蛮人”を軽蔑し、嫌っている。特にアサマイトはすべてのカイン人の根絶を目指す氏族であるため、十字軍の戦いを好機とみて同族喰らいと殺戮の中に身を置いているのだ。

 はるかな北方の地スカンジナビアでは、主にギャンレル氏族が古来より闊歩してきた。彼らの多くは自らを神々の王にして戦いの神たるオージン(オーディン)に選ばれた“エインヘリャル”(不死の神戦士)だと見て、もうすでに始まりつつあるラグナロク、すなわち最終戦争を戦い抜くことにその不死の生を費やしている。また、ヴァイキングとともに南方へ下っていった者も多い。だが、キリスト教の布教によって次第に伝統的な宗教が押しやられるにつれて、こうした不死の蛮族戦士たちも急速に姿を消しつつあるのである。


中世カイン人社会の諸相

Before Masquerade

 永遠の命を持つヴァンパイアの社会は、中世と現代ではあまり変わっていない部分も多い。なぜなら中世暗黒時代に生きていた長老たちが20世紀でも支配を続けていることが多いからである。しかしまた異なる部分も当然ながら多い。以下では目立った相違点についていくつか述べてみよう。

中世の公子

 古代より、版図の中で最も年老いたカイン人が指導者となり、その一帯のヴァンパイアたちのもめ事を仲裁するという慣習は続けられてきた。こうした指導者につけられる称号は人間社会同様に地域によってさまざまだが、ここでは西欧で普及してきた呼称「公子」で通すことにする。

 公子は原則としてその地域で最古参のカイン人が就任するが、時として長老のひとりが自分の継嗣を公子に任命して隠遁生活に入ることもあり、例外は数多くある。また、公子は“警吏”や“家令”といった役職を設けて長老をあて、自分を補佐してもらうというのがどこでも一般的である。こうした役職にも仰々しい名前がついていることが多いが、これはこの時代の人々が称号や名誉といったものを現代よりもはるかに重んじていたからである。

 封建社会に生きるカイン人たちは、厳格な階層体制の中に位置づけられている。公子も例外ではなく、別の公子を自分より上位の大君主と見なして、その者に対して“忠誠の誓い”を行うことがある。これは人間の騎士が大貴族に、大貴族が国王に行う忠誠誓約によく似ている。下位の公子(臣公子/Vassal Princeと呼ぶ)は自分の下位を認め、より上位の公子に忠誠を誓うわけである。こうした臣公子は、主君たる公子に何らかの義務を負うことが多い。時には“血の誓い”を要求されることすらある。主に、臣公子は主君公子の敵を援助してはならない、上位の公子が出した“咎人狩り”の命令を自分の領内でも有効とする、別の公子と勝手に同盟してはならない、といったものが義務として課されることになる。

 公子の権力は現代とあまり変わらず、地域差がかなりある。部下の力量、部下の自立心の強さ、教会やその他の超自然存在の勢力の強さ、などといった状況がからみあって、公子の実権がどれほどのものかが定まるのである。

中世版・六条の掟

 異端審問がまだ起きていない“中世暗黒世界”のカイン人たちは、賤民どもからその姿を必死に隠す必要を感じてはいない。特に東欧のツィミーシィたちは、自らが万物の霊長であり支配者であるということを隠すことを恥とすら思っているくらいなのである。このような時代にあっては、カイン人の社会もまた現代とは異なった様相を見せざるをえない。それは「六条の掟」にも現れている。この時代の「掟」は以下の通り。「仮面舞踏会」に相当する掟が六番目に置かれていることは意味深長だといえる。

第一条
遺産の掟
The Legacy
人間社会の階級にある制限と同じように、「カインの遺産」によって、カイン人たちは社会の中で捕食者として活動するよう定められた。神が創ったヒエラルキーを変えようとすることは、許すべからざる大罪である。なぜなら、それは神の英知を持つことと等しいからだ。単なる獣と化すこと、喰らうためだけに生きることは、“抱擁”に逆らって人間に戻ろうとする事と同じくらい罪深いことなのだ。
第二条
破壊の掟
The Destruction
現代と同様。これはほぼ年功序列のカイン人の社会の根本をなしており、長老が若者の反逆を抑える最大の武器となっている。
第三条
継嗣の掟
The Progeny
現代と同様。この掟は多くの地域では形骸化しており、父の中には自分の子にこの掟を教えない者すらいる。版図内の継嗣の数を制限することで公子が版図内の全員に十分な食料源を供給することができるという利点もある。
第四条
申告の掟
The Accounting
この掟はカイン人たちが“転変”させる人間を選ぶときに賢い者を選ぶよう仕向けるためのものである。これはまた父に自分の子に対して忠誠を確実なものとするために“血の誓い”(血の契りの古語)を強制することを推奨もしている。
第五条
版図の掟
The Domain
現代と同様。複数のカイン人が暮らすような地域や都市は限られているが、それでも新参者に狩り場を奪われないためにも、公子はこの掟を無視するわけにはいかない。
第六条
血の沈黙の掟
The Silence of Blood
後に「仮面舞踏会」と呼ばれることになる掟。「血の沈黙」は便宜上生まれた暗黙の了解とでもいうべきものである。教会権力や大貴族の軍隊と相対したいカイン人などいないので、ヴァンパイアは自分の正体を隠す必要がある。
中世の人間はヴァンパイアやその他の怪物たちが実在することをすでに知っているので、ヴァンパイア個々人の正体が人間にばれることを警戒するカイン人は多くはない。しかし、無思慮に正体を露にすることは許されない。もしカイン人が公然とその力を使い、それによって恐怖した人間たちが他のカイン人を狩り出し始める、もしくはカイン人が他の者の正体や隠れ家を暴露したら、公子や他のカイン人がこれを座視することはない。同族を危機に陥れたカイン人は誰であろうと許されることはないのである。
さらに、多くの人間はこうした生物(カイン人の他、狼憑き、そして黒魔術師たち)は極めつけの邪悪であり、その力をルシファーそのひとから引き出していると信じているので、カイン人にとって人間から身を隠すことは欠かせないことである。もし見つかってしまえば、そのカイン人は中世の人間からは決して慈悲を期待することはできないだろう。

派閥

 この時代のカイン人の間には、すでにいくつかの派閥が勃興している。そのうちのいくつかは現代でも存続しているといわれている。いずれもカイン人の社会の中で主流となる政治的権力を構築しており、派閥間の影の争いは中世世界の動向をも左右するものになっている。

■アンコニュは、ローマ帝国を支配したカイン人の生き残りである。主にパリやコンスタンティノープルなど、ローマ時代以来の大都市の地下に潜んでおり、古代のやり方をできる限り踏襲して新しい時代も生き抜こうと画策している。ヨーロッパの長老たちに強大な影響力をいまだに持っているアンコニュだが、同時に、ローマ時代に敵となった氏族(トレアドール、ツィミーシィ、ブルハー)とは険悪な関係であり、こうした氏族の者がこの派閥の一員となっていることはない。アンコニュは組織だった派閥ではなく、ゆるやかな長老の連合体にしかすぎず、常に内紛を抱えている点では他の派閥となんらかわりはない。

■熱狂党(The Furores)は、ヨーロッパ各地で無法者として悪名をはせている若者たちから成る組織である。彼らの多くは盗賊あるいは厄介者として公子や長老たちから排斥されており、カイン人社会の辺縁部で貧しい生活を送っている。熱狂党は外部からは野放図な無頼どもの巣であり、掟もなにもないと見なされているが、それは誤りである。彼らは「六条の掟」を尊重はするが、社会の隅で暮らす上でその桎梏を振り払っているだけなのだ。熱狂党は長老支配と年功序列を否定し、カイン人は血筋ではなく個人の能力のみではかられるべきだと唱えている。熱狂党の拠点は主に都市であり、王侯や教会などの権威に屈しない芸術家や都市参事員、泥棒や芸人、職人といった平民を“抱擁”の対象とする。熱狂党はいわばギルドのような形態をとっており、入信儀礼を通過すれば誰でも受け入れ、秘密の集会場で会合を開くのである。後に熱狂党は大叛乱の火付け役としてカイン人社会を大いに揺るがし、やがてサバトとして長老たちに背を向けることになる。

■隠者は、アンコニュや長老たちに公然と反抗し、社会のはぐれものとして生きることを選んだ若者たちのことである。彼らは自由、平等、素朴な社会を希求し、長老の権威や公子の支配を拒絶しているため、「疫病蠅」という蔑称でも呼ばれている。その多くは強盗団として荒野を駆けめぐり、行く手のあらゆるものを根絶やしにし、破壊していくのである。

■プロメテウス党(The Promethians)は、人間とカイン人の平和的な共存を願う理想家の集団であり、「人間の道」を奉じてアンコニュや長老の堕落を糾弾している。彼らは少数派にしかすぎないが、その成員の多くはブルハーであり、さまざまな形での闘争を展開して、いにしえのカルタゴ復興を目指しているのである。

■マヌス・ニグルム(The Manus Nigrum:黒手団)は、死を研究する東方の魔術師集団から発展した派閥であり、数百年前に東西に分裂してからは、ヨーロッパで主に西方派が活動を続けている。彼らは“中世暗黒世界”に住むカイン人は多すぎ有害であると見なし、何らかの形で間引きを狙っている。そのために彼らはあらゆる手段を用いて秘密裏にすべてのカイン人についての情報を集めているのである。彼らの編纂しているこのリストは「ドゥームズデイ・ブック」(審判の日の書)と呼ばれ、こことは別の世界に保管されているといわれている。ここに書き留められたカイン人たちは、きたるべき終末の夜にアンテデルヴィアンに捧げられる供物となるのだという。マヌス・ニグルムは極めて秘密主義の派閥であり、その活動と目的についてはほとんどの者が何も知らないし、知っていたとしても誤りであることが多い。

神盟裁判

 咎人狩りと復讐法の原則は今も昔も変わらないが、中世の公子たちは訴追されたカイン人の有罪無罪を決するために、「神盟裁判」(Ordeal)と呼ばれる方法を好んで使っていた。特に賓客が何らかの罪で起訴されたときには、通常の即決裁判ではなく神盟裁判のほうが使われるのが慣習となっている。神盟裁判の具体的な内容は、その地の慣習と公子の嗜好によって実にさまざまだが、よく知られているものを以下にいくつか挙げよう。

■決闘は、訴追が正当なものであるかどうかが問題になるときによく使われる。被告は原告と一対一で対決する。公子によって引き出された場合には、公子の代理戦士と被告が戦うことになる。決闘の内容はさまざまで、どちらかが降伏するまでのものもあれば、滅びるまでやり合うという場合もある。お互いに抱きついて血を吸い合うというものまである。決闘は見物人にとっておもしろい娯楽であるため、公子は往々にしていろいろと趣向をこらすことになる。

■火の試練は、非常に危険な神盟裁判であり、被告の死につながることも珍しくはない。最もよく知られているやり方では、数人のカイン人が二つの列を作って向かい合い、各人一本ずつ火をつけた松明を手に持つ。そしてその列の間を被告が走り抜けねばならないというものである。もし途中で倒れてしまえば有罪となり、即座に処刑される。また、もっと苛酷なものでは、木の杭に縛り付けて足下で焚き火を燃やし、燃えてしまうまでに脱出するというものがあるが、これはほとんど処刑と変わらない。

■野獣の試練は、野生の猛獣のいる穴や密室に放り込まれるというもの。普通肉食獣たちは数夜にわたって飢えさせられており、時にはグール化されていることもある。被告は徒手空拳でこの野獣たちを打ち負かさねばならない。当然ながら〈獣心〉などを持っている者はこうした試練を課されることはない。この試練もよい娯楽である。

■浄化の光の試練は、夜明けの数分前に密閉された中庭に監禁され、公子が定めた時間の間日光を堪え忍ばねばならないという極めて厳しい試練である。これはほんとうに凶悪な犯罪人にだけ課される試練であり、これを生き残れる者はまずいない。だが、自らの罪の浄化のために進んでこれを受ける者もいるという。

 この他、公子が罪の潔白の証明や贖いを求めて、被告にある種の探索行(クエスト)を課すこともある。これはカイン人にとって重大な遺品や宗教上の聖遺物の探索などがあり、ほとんどの場合、被告はこれを達成することができないと目される。こうして旅に出た探索者はたいてい、〈先覚〉などのパワーで監視をつけられることになる。


高貴なる夜の一族

Thirteen Clans of the Darkest Time

 カインの十三人の孫たちによって創始されたと伝えられるカイン人の十三氏族は、20世紀末の内容とは多少異なっている。最も大きな違いは、ジョヴァンニ氏族のかわりにカッパドキアン氏族が存在しているという点だ。これはジョヴァンニがルネサンス期にカッパドキアン氏族を滅ぼして勃興した新興の氏族だからである。12世紀末の時点では、ジョヴァンニはいまだカッパドキアン氏族内の新参の一派にすぎない。また、トレメール氏族はまだわずか百年余の歴史しか経ていないし、多くの長老たちは彼らが氏族であることすら認めてはいない。

 ブルハー氏族は現代の北米の者たちとは似ても似つかない。彼らは古代ギリシア、カルタゴ、そしてローマの哲学者や文筆家、詩人たちの系譜をひく知識人の氏族である。彼らの求める“変革”は武力闘争も含まれてはいるが、現代の叛徒のような野放図なものではなく、確固たる思想と理念に裏打ちされた“革命家”のそれであることに注意しなければならない。

 いまだカマリリャもサバトもない時代なので、ラソンブラとツィミーシィも他の氏族と同列に扱われている。後の大叛乱によって滅ぼされる長老たちがまだ厳然と存命中なので、両氏族ともに非常に古風で貴族的な氏族である。ラソンブラはローマ貴族と北アフリカの豪族の血をひき、ツィミーシィは最も古典的な意味で“古城の主”なのである。

 その他の氏族については、現代と性向はあまり変わってはいないが、身分社会であったこの頃、トレアドールやヴェントルーなどのいわゆる“文化的”な氏族には貴族層が、ノスフェラトゥやラヴノスといった“卑俗な”氏族には平民がそれぞれ多く成員をなしていることには留意しておくとよいだろう。

■アサマイトは、アラブに本拠を持つ暗殺者(アサシン)の氏族である。彼らは始祖カインに自らを近づけるべく修道を積み、何よりも名誉を重んじる求道者たちだが、その最大の方法がより強力なヴァンパイアの血を飲むことであるため、他の氏族からは恐怖と激怒をもって迎えられている。彼らにとって十字軍は血を集める絶好の機会でもあるのだ。

■ブルハーは、千年の昔に失われた理想郷カルタゴを思慕しながら、主にイベリアとイタリア、地中海沿岸で活動し、カイン人と賤民が安寧に共存できる新たな都の建設を夢見ている理想家たちである。圧制のくびきを解き放つべく思索と闘争に打ち込む彼らだが、氏族内ですらいかなる未来を目指すべきかの意見は一致していない。だがその旺盛な学究心と高い戦闘能力は他の氏族を怖れさせている。永遠の闘士である彼らは、常に自らの強い獣性と戦いつつ苦悩する哲学者なのである。

■カッパドキアンは、おのがアンデッドという状態の意味づけを見いだすべく、生と死の秘密を永遠に探求し続ける研究者たちである。だがその題材ゆえに彼らは墓あばきをはじめ、口にするもおぞましい遺骸や霊魂への冒涜的な所業に走っており、宗教の力の強いこの時代ではカイン人の間ですら嫌悪され排斥されている。そのため彼らは主にカタコンベや古代遺跡など、大量の死に関係した場所に潜んで孤独な研究を続けている。しかしその知識の豊富さゆえに、時には王侯の顧問としてその不気味な姿を宮廷に現すこともある。

■セトの信徒は、数千年の昔、エジプトで暗黒神として崇拝された氏族の祖セトを崇め、その復活の夜を待ちながら、他の氏族すべての破滅を画策しているいわば邪教の教団である。彼らは人の心にある(人から生まれるヴァンパイアにも当然ある)暗い堕落の心を増幅させ、世界を腐敗と堕落の中に沈めようとしているのである。彼らは心の闇にささやき続けるだろう。彼らの神がよみがえるその夜まで。

■ギャンレルは、原野と蛮族たちの間に棲むべき場所を見いだした孤高の放浪者。彼らは野生の獣たちや自然とともに暮らす人間たちの中に立ち混じり、城壁の檻に閉じこめられた他の氏族を哀れみながら生きてきた。しかしローマ帝国をはじめとするさまざまな文明は彼らの安住の地を浸食し続けており、ギャンレルはそうした諸王国の背後で策動する他の氏族を憎んでいる。

■ラソンブラは、すべての氏族の中で最も闇そのものに精通した氏族である。彼らは夜の闇を操るすべを見いだし、自らの作り出した闇の中から人間たちをさながらマリオネット使いのように操ることを本分としてきた。中世、彼らは最強の力を持つカトリック教会に入り込み、その腐敗と権力欲を増幅させ、自らの手駒にしている。それゆえ、ラソンブラは人間の精神世界に恐怖と闇を巻いた張本人といえるだろう。シチリア島の奥地にある「影の城」に座する彼らの始祖は、信仰を通してヨーロッパのあらゆる地方へと闇の触手を伸ばしているのだ。

■マルカヴィアンは、狂える氏族である。彼らはそのたぐいまれな叡知ゆえにカインに狂気という自由を与えられたヴァンパイアを祖としている。彼らは愚者であり、道化であり、白痴であり、そして極めて高い洞察力を有する予言者でもある。誰も彼らを無視することも理解することもできないのだ。

■ノスフェラトゥはおぞましく醜怪な容貌を持つ。彼らは自分が怪物だということを最も痛感している氏族であり、その呪いの理由を求めて荒野をさまよい歩いている。カイン人社会の鼻つまみものである彼らは、熱心な信仰者であり、その救いを神、あるいは悪魔に請い続けている。だがその一方で、地下のあなぐらという余人にはうかがい知れぬ世界に精通し、その類い希なる密偵の才を活かし、傲慢な公子どもをきりきり舞いさせるのも、またノスフェラトゥの得意とするところでもある。

■ラヴノスは何者にも縛られぬ奔放なジプシー。彼らはこの世のすべてを幻影と見、そして幻を操る。彼らにとって強大なヴァンパイアとは、この世の変幻の摂理を崩すものでしかない。それゆえ彼らは詐欺師、盗賊として他の氏族から嫌われ、彼らもまた他の者を蔑視している。彼らは、永遠の異邦人としてカイン人の社会の狭間を渡り歩く。アウトサイダーほどこの時代の心性にとって恐るべきものはない。他の者たちにとって、ラヴノスは恐怖の対象ですらあるのだ。

■トレアドールは、美を守り、美を育てることを至上命題としている氏族。古代文明の倒壊後、彼らは灰燼の中から必死に後世に残すべき遺産を掘り出して守ってきた。今、彼らは教会芸術に心奪われ、その一方でイスラムの栄華を称賛している。だが窒息しそうな身分制は天才の芽をも摘んでしまう……トレアドールのやるべきことは多い。牙城であるフランスから、彼らのエージェントは全世界へと旅立っているのだ。そんな彼らにとって政争など無意味なものでしかないが、自らの目的を追求するためには、たとえ意に染まぬ争いであろうとも戦わねばならない。それゆえにトレアドールは宮廷の謀略の達人として怖れられる。

■トレメールは、ここ二百年で新たに勃興した氏族である。西欧の理論魔術の伝統を受け継ぐこの魔術師たちは、その勃興の過程で、すべての氏族より愛されたサルブリ氏族を滅ぼし、ツィミーシィの先祖伝来の土地トランシルヴァニアを侵したために、強烈な憎悪と復讐心にたける他の氏族の攻勢で危機に瀕している。全面包囲の中、彼らは必死に自らの生き残りのためあらゆる対策と謀略を実行しなければならない。そのメンバーに求められるのは、上位者への絶対忠誠。一枚岩でなければこの難局は乗りきれはしない。

■ツィミーシィは、東欧に恐怖の吸血鬼君主として何千年にもわたって君臨してきた古い氏族。彼らは自らを神あるいは亜神と見なし、人間や他のカイン人を屑と呼ぶ冷酷無惨な悪鬼である。その古城のある領地に無断で立ち入った者には死よりも恐ろしい拷問が待ち受けるだろう。そして彼らはヴァンパイアという存在がいかなる存在であるかということを、誰よりも真摯に追求する氏族でもある。そのためには手段を選びはしない。今、ツィミーシィは長き歴史の中ではじめて父祖の地を他の氏族(すなわちトレメール)に侵された。彼らの激怒が黒魔術師たちを打ち砕くか否かは、時の審判を待つしかないだろう。

■ヴェントルーは、吸血貴族としての誇りを持ち、過去常に同族の指導者・王侯であった。これからもそうあり続けるだろう。彼らはヨーロッパの王侯貴族の間に立ち混じり、カイン人と人間双方に支配権を確立しようとしている。「高貴なる者には劣った者を守る義務がある」という信念のもと優れた騎士や統治者を輩出するヴェントルーは、主に北のゲルマンの地、そしてブリテンの王国のもとで力を振るい、十字軍でも獅子奮迅の活躍を見せる。だが、王とは常に孤独なもの。他氏族との数千年の恩讐は彼らにとって抜きがたい枷なのだ。

 そしてもうひとつ、地獄と堕落の力に汚染されたためにカイン人の社会から永遠に追放された氏族がある。彼らは バアリと呼ばれ、もはや同族として認められず、悪魔崇拝の異端者として見つけ次第殺される。バアリは地獄の力を地上に呼び起こそうとして潜伏していると言われている。


苦難の階梯、指し示された“道”

Roads against the Beast

 カイン人は人間より野獣に近い本性を持っている。彼らの本能は狩猟者のそれであり、コントロールを誤れば、すぐさま理性を押し込め、表層に現れて大惨事を巻き起こすだろう。その強烈で暗い殺戮の本能をカイン人たちは恐怖をこめて“獣”(Beast)と呼ぶ。

 カイン人たちは“獣”に屈服した自分が殺戮の怪物になり、永遠に本能のおもむくままに殺し続ける吸血の悪鬼と化すことを、数千年の昔からおそれてきた。そして内なる“獣”を檻に閉じこめ、統制するためにいくつもの行動規範をつくりだしてきた。それをそれぞれ“道”(Road, Via)と呼んだ。

 特に中世に暮らす者にとって、地獄落ちと救済ということは絵空事でも何でもない、生活の上の真実だった。自らが「呪われしもの」となってしまったという事実は、現代人からすれば想像を絶するほどに、本人にとって耐え難い絶望、果ては狂気をもたらしかねないものなのだ。神に見離された存在として、なおも永遠の時を生き続けるには、確かな哲学と生活規範を持つことが必要なのである。さもなくば、堕落の階梯を滑り落ち、尊厳も何もないただの人食いの化け物となってしまうことは確実だからだ。

 今、カイン人が従う“道”には大きく八つがある。もちろんこの他にもいろいろな“道”が伝えられてきてはいるが、そのほとんどはほんの小さな結社や血筋の中でしか実践されてはいない。それらはお互いに似通うところもあれば、まったく相容れない部分も持っている。だがいずれも内なる“獣”を飼い慣らし、カイン人としての自らの存在を確固たらしめるために自分に課した規律と哲学である。カイン人はできうる限り選んだ“道”に従って考え、行動し、不死の生を生き抜いていかねばならないのである。いずれの“道”をたどるにせよ、それは決して生やさしい道のりではない。

■「獣の道」(Road of the Beast)

「野を駆ける獣らを見よ。彼らより心の調和のすべを学べ。石壁の向こうに隠れた者には決してわからぬ真理を」

 「獣の道」は、本能を支配するすべを野生の動物たちの生き方をまねることによって得ている。彼らは縄張り意識と生存本能のみをよって立つところとしており、自然を離れた文明生活を蔑んでいる。

■「血の道」(Road of Blood)

「我らは汚れしカーイーンの子らを狩る誉れ高き聖なる戦士。敵の血を食らい、高みを目指せ。仇敵の滅びるその夜まで」

 アサマイトが従う神秘的な哲学。同族の殺戮者、聖なる暗殺者として生きる道を指し示している。その理念と行動規範は、西洋のカイン人にとって不可解で恐怖と怨嗟の的になっている。砂漠からやってくる静かなる滅びのともがらにとって、他のカイン人の根絶は氏族の悲願なのだ。

■「騎士道の道」(Road of Chivalry)

「この世で重んずるべきものは名誉と高潔さ、そして力ある者の弱者への義務だ。主君に忠誠を、そして弱く劣った者に手をさしのべよ」

 一・二世紀後に人間の間にも興隆する騎士道に基づく規範。主従関係と弱者保護を旨とする。その一方で人間をはっきりと下等生物と見なしている“道”でもある。誓約を決して破らず、信義と武門の誉れをどのような苦難の中にあっても守り続ける彼らの生き方は、不信と陰謀の渦巻くカイン人社会の中では、宝石のように希少なものとして、敬意をもって受け止められている。

■「悪魔の道」(Road of Devil)

「我らはこの地上で悪をなすべく、悪魔のしもべとして創られた。悪を広めるため、禁じられし七つの大罪をおもうがまま犯すがよい」

 自らを神に敵対する悪の権化と認識し、悪をなすことが自分の責務だと考える道。自らの悪魔的な状態に、地上での悪の執行者としての意味を見いだした哲学。自分の欲望と快楽の追求を至上とする。しかしかならずしも「悪魔の道」の信者全員が善を敵視しているわけではない。むしろ、自分が悪をなすことによって、人々を救済を希求するように仕向けるといういわば“汚れ役”を自らに課している者も多い。もちろん、悪神の手先として純粋に悪の道に邁進する者もそれと同じくらい多いのだが。

■「天国の道」(Road of Heaven)

「我らは神によってこの地上に置かれた復讐の天使。そして罪なき者を守るが宿命。罪人よ、死をもって償え」

 自分が受けた呪いとパワーは、神の計画の一部であり、自分の存在意義は神の禁じた罪を行った者を討伐し、殺害することにあるとする理念。これに従う者は、殺人者など重罪人を獲物として生きる。救済より見離され、魔物として地獄落ちを定められたとされる呪われた者が、人をも超える力を得たそのことに、神聖なる意味を見いだすこの哲学は、たとえそれが自己欺瞞であろうとも、キリスト教が支配する中世ヨーロッパのカイン人たちの多くに慰めをもたらしてきた。

■「人間の道」(Road of Humanity)

「我らはもともと人であった者。ならば人として良心を失わぬことこそ、調和への道ではないのか?」

 カイン人になっても人間の心を失うまいとする者はいる。彼らは生前のモラル観を引継ぎ、あくまで人間らしく生き続けることで“獣”に抵抗する。彼らにとって殺人も盗みも恐ろしい罪でしかない。だが、人ならざるものであるのに、人たらんとする事は、常に良心の呵責を感じ続ける苦悩がつきまとい、想像以上の困難をカイン人にもたらす。それは、排他的な村落に異邦人が住み着こうとする試みにも似て、常に炎と石もて追われる悲運を内包しているのだ。

■「逆説の道」(Road of Paradox)

「この世は夢幻泡影。すべて常ならざるもの。そして我らはその移ろいを守り、虚無より世界を守る者であるのだ」

 この世は生々流転するもの。この“道”に従う者であるラヴノスは盗みや破壊によって常に世界と運命に変化をもたらそうとする。古いカイン人はそれだけで世の摂理に反する存在なのだ。パワーは一カ所にとどまっていてはならない。“所有”や“秩序”といった社会体制の根本を揺るがせるこの哲学ゆえに、ラヴノスはどこへ行っても危険分子として警戒され、時には弾圧されるのである。しかし彼らにとってその“犯罪”は宇宙の摂理を守る聖なる義務なのだ。

■「テュポンの道」(Road of Typhon)

「堕落と弱さを受け入れることによってのみ、安寧を得ることができるのだ。わからないのか? 我らが祖セトの示したこの道こそ救いだと」

 セトの信徒は、自らの弱さと欲望を積極的に肯定し、堕落と腐敗の中にこそ真実があると説く。彼らは戦争、疫病、貧困、堕落と停滞を引き起こし、その中から悟りを得ようとする。この思想が振りまく被害は、剣と炎によるものよりはるかに大きく根深いものとなる。それゆえにセトの信徒は不倶戴天の敵として憎まれるのだ。


信仰の力

True Faith

 12世紀末、ローマから中世ヨーロッパの人々の魂と精神を支配するカトリック教会は、その絶大なる力を振るって、王侯貴族たちと激しい権力闘争を繰り広げていた。聖人たちの集まりであるはずの教会や修道院の中でもどろどろとした争いが絶え間なく続き、外では救済のもたらし手である僧侶たちが、逆に庶民たちから税をしぼりとることにかかりはてていた。教会は爛熟し、退廃の一途をたどっていたのである。

 しかし、この時代、信仰によってもたらされる退魔の力、すなわち「真の信仰」は、現代ほど弱まってはいなかった。たとえそれが結果として人々を不幸に導く誤った教理であっても、強く敬虔な信仰心は聖なる力となって、闇の魔物をはねのけることができたのである。現代では考えられないことだが、信仰心篤い者が持つ十字架などのホーリーシンボルだけでなく、敬虔な者(例えば司祭や司教などの聖職者)が祝福を与えた聖水や聖餅にすら「真の信仰」の力は宿ることができた。後世で迷信と一蹴されたことのいくつかは、中世においては現実だったというわけだ。

 そしてこの力はカトリック教徒に限られたものではなかった。東方正教の僧侶であろうと、敬虔なイスラム教徒であろうと、はたまた土着の異教であろうと、強い帰依の心はそれだけで力となった。それはすなわち、カイン人にとって、現代にはほとんど見られなくなった脅威が、どの地域に赴いても、厳然として存在していたということでもある。

 狂信者が振り回す十字架だけではなく、大きめの都市ならばどこにでも建てられていた大聖堂や礼拝堂、あるいは聖人に関連する史跡、古来より聖域として崇められてきた場所などもまた、それ自体が強い退魔の力を有していた。そうした聖なる場所に侵入したカイン人は、たいていは耐え難い不快感を感じ、時には説明のつかない恐怖に襲われて矢も楯もたまらず逃げ出さねばならなかった。教会に関わるカイン人は、細心の注意を払う必要があったのである。その一方で、「真の信仰」を持つカイン人も現代に比べれば信じられないほど多くいた。彼らのほとんどはカトリック教会の内部で暗躍し、闇の奥から人々の魂を牛耳っていたのである。


中世の魔物たち

Other Beings

 “中世暗黒世界”に棲む魔物はカイン人だけではなかった。およそ人間の伝説に現れたあらゆる妖怪変化たちが、なんらかの形でこの世界には存在していたのだ。その中には滅びかかっているものも多かった。カイン人にとって脅威となる者もいれば、ほとんど気にもとめられない存在もいた。

 ワーウルフすなわち狼憑きは、原野と森を住処とする古い変身種族。彼らは現代と同じように自然を汚す者たちをその鋭い爪で狩りたてていた。しかもその数は格段に多かったのである。特に東欧では、城に住まい人間を支配する闇色の狼憑きたちもおり、カイン人と激しい争いを繰り広げていた。今も昔も、彼らがカイン人にとって天敵に等しい存在であることに変わりはない。

 レイスすなわち亡霊は、天国にも地獄にも行くことのできない迷える魂。その嘆きと彷徨は時折現世にも影響を及ぼした。カッパドキアン氏族を除けば、彼らとまともにつきあうカイン人はほとんどいないが、古戦場や古い建物、あるいは歴史のある都市では、休らえぬ死者たちの慟哭の声が、超自然の力を通してカイン人たちにも聞こえてくることがあるかもしれない。

 メイジすなわち魔術師は、この世の真の姿に気づいた“目覚めし”人間。魔術と妖術、そして悟りによって昇華の道を目指す。彼らと最も関係の深いのは、百年ほど前には同じくメイジであったトレメール氏族であろう。トレメールはかつての同胞を裏切り、不死のカイン人として魂を闇へと落とした。それゆえにかつての仲間たちからは仇敵として憎まれ続けている。その他でも、各地に散在する“覚醒者”たちは、超自然の存在と対処法を知る者として、カイン人の前に立ちふさがることがある。

 フェイすなわち妖精族は、本来は妖精郷アルカディアの住人である。だが時折こちらへ舞い込むものや“取り替え子”(チェンジリング)が生まれる。その多くが気まぐれで、予測しがたいが、妖精貴族や巨人族など、ただのいたずら者というわけではない者も数多くいる。しかし、彼らに災いをなすと見なされているカイン人の前に、妖精の姿が現れることは、まずないだろう。

 デーモンすなわち妖魔は、悪魔のしもべ、地獄よりの使者。この地上に悪をもたらそうとする種族。彼らはさまざまな形をとって現れる。彼らは根源的な邪悪を体現した存在であり、それは闇の種族であるカイン人にとっても危険極まりない。デーモンとの取引は、カイン人の間で固く禁じられているタブーであり、それを犯した者にはいずれにせよ滅びの運命が待っている。

 マミーすなわちミイラは、古代エジプトの秘術によって何度でもこの世に帰ってくる不死の魂。彼らはエジプトの神ホルスのしもべとして、不倶戴天の邪神セトの滅亡のために、永遠の聖戦を展開しているのだ。当然、セトのしもべの宿敵である。その正体と叡智と力のほどは、年古りたカイン人にとってもまったくの謎である。

 この他にも多種多様な魔物たちが実在し、山野に隠れ潜んでいる。後に“過ぎ去りしもの”(Bygone)と呼ばれるようになるそうした存在中には、伝説のユニコーンなどのような清浄な生き物もいれば、ドラゴンやグリフィンなどの禍々しい怪獣たちもいる。彼らは人間の領域の拡大とともにこの世から次第に追われつつあるが、それでも人跡未踏の秘境へとあえて踏み込めば、遭遇することがあるかもしれない。だがその出逢いは必ずしも喜ばしいものとはならないだろう。特にカイン人にとっては。


来たるべき嵐

Gathering Storm

 「ヴァンパイア・ザ・ダークエイジ」のエピソードは、以上のような世界で展開される物語だ。

 中世暗黒時代に生きるカイン人たちの熾烈な争い、出逢い、別れ、愛憎、想い……それらはすべて、やがてヨーロッパ全域を吹き荒れる異端審問と大叛乱の嵐の前の静けさにすぎないのかもしれない。迫り来る危機を予知している者はあまりにも少なく、吸血鬼君主たちは数百年来そうしてきたように、人間を支配し、その血肉を喰らっている。彼らの堅牢な城が炎に巻かれるまで、もうあまり時間はないのだ。

 プレイヤーの操るカイン人は、この混沌とした暗闇の時代を駆け抜けていくだろう。それは永遠の退廃に至る下り坂か、それとも一瞬で燃え尽きる蝋燭の輝きか……それを決めるのは、運命なのか自分の力なのか、確かなことは誰にも言えない。

 闇夜の荒れ城に灯火がともるとき、物語の幕は上がる。
 「ヴァンパイア・ザ・ダークエイジ」へようこそ!

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