Boston by Night

City of Unseen Menace

UNOFFICIAL BOSTON

 石畳の細い路地に煉瓦造りの家並み、尖塔を持った教会、曲がりくねった街路。街角の石屋根には魔物像が腰を下ろし、丘の上には瀟洒な屋敷が軒を連ねる。時折響く鐘の音は、今も昔も変わりはしない。

 旧世界の趣を色濃く残す古都ボストンは、新天地を求めて大洋を渡った移民たちが創ったアメリカ最古の都市である。英国のくびきを脱しようと、幾多の志士がこの街に集い、論と剣とを戦わせ、そして銃火の前に斃れていった。街を歩けば、そのたたずまいとは裏腹の凄惨な流血の歴史をうかがわせる数々の古戦場と遺跡に出くわすだろう。

 だが、煉瓦色に彩られた古風な町並みをひとたび抜ければ、突然高層ビルが林立する。暗色の空と群青の海を背にしながらハイテクの摩天楼がそびえたつ。行き交う無数の車と雑踏が織りなす喧噪は、今も街が戦場であることを告げている。

 やがて夕闇が落ちた後、再び街はいにしえの顔を取り戻す。そこは数世紀の血塗られた闘争の場。謀略と暴力、暗殺と暗闘、復讐と憎悪、そして忠節と裏切りが、幾百年の歳月をけみした路地と屋敷で繰り広げられる。かたや、老いた吸血鬼らが街を統べ、かたや、旧き怨念が邪悪な力を解き放つ。最も古き町がゆえに、闇もまた一段と深いのだ。漆黒の闇の中、響くは悲鳴と哄笑、そして妖しき囁き声。裏路地に転がる無惨な骸を振り返る者は誰もいない。

 古き都ボストン。恩讐と明暗の網の中、血族たちの夜は暗く、そして紅い……。

THE OLDEST CITY

 北米東海岸北部、合衆国最古の州のひとつマサチューセッツ州の州都。

 “ニューイングランド”と呼ばれる六つの州の社会経済文化の中心地であり、人口も市内で約六十万、郊外周辺域も合わせれば実に六百万人を数える全米第七位の大都市圏である。市内の町並みは入植当時の古風なたたずまいと、ウォーターフロントを中心とする高層ビル街とが混淆した独特な景観。各所には合衆国建国に至るまでの数々の史跡が点在しており、観光客で一年を通してにぎわっている。また大学都市としても知られており、ハーバード大学、ボストン大学など世界的に有名な学校が河畔や郊外に敷地を広げている。

 気候は比較的温暖で、多少冷涼。ボストンは、市内・郊外問わず他の都市に比べて緑が多いことでも名高い。

 公共交通機関は、市内主要地点を結ぶ地下鉄のほか、市内外を縦横に走るバス網、ダウンタウンと近郊をつなぐ近距離鉄道があり、非常に整備されている。東の海上にはローガン国際空港が横たわり、ニューイングランドへの玄関口としての役割を果たしている。

*ボストン・ヘクス地図はここをクリック。

 ボストン都市圏の血族人口はおよそ六十人強。マサチューセッツ州全体では百人近くが住み着いていると言われている。カマリリャの掟に沿って統治が行われており、公子はトレメール氏族のジャック・ヴィンセント・カルノー。ここの長老たちは、ニューイングランド地方最大の版図の参議として、東海岸のカマリリャの中でも強い影響力を有していることで知られる。

 しかし北部諸州(メーン、ヴァーモント)から南下してくるサバト勢力に圧迫され、緊張状態がここ数百年の間ずっと続いている。また、南方の大都市ニューヨークを巡る二派閥の闘争には不可避的に関わらざるをえず、何人もの血族がかの地で帰らぬ人となっている。


*注:この都市設定は、White Wolf Game Studio.発表の公式設定とは一切関係ない完全な非公式設定です。
この設定を基にしてWW社に質問などはしないでください。
また、この設定を用いたことによるいかなる損害についても当方は関知いたしません。


歴史

The Hidden History

ギデオンの到来

 最初に到来したヴァンパイアは、ブルハー氏族のギデオンである。彼は最初の移民とともに新天地に上陸し、そこに人間と血族が共存して暮らすことのできる理想郷を築こうとしていた。彼は1636年にハーバード大学が創立されると、そこを寝処として人間との交流をはかっていった。最小限のグールのみを用いて、ギデオンは表向きは歴史学者として地元社会に溶け込んだのである。

 やがて、英国で市民革命が起こり、それによって没落した者たちとともに、他の血族もこの街にやってくるようになった。最初にやってきたトレアドール氏族のエレアノールは、海岸沿いの屋敷を買い取って暮らし始めたが、このことはすぐにギデオンの知るところとなった。ある晩、彼の訪問を受けたエレアノールは、ギデオンの語る理想に特別共鳴はしなかったものの、欧州の都市に比べればまだちっぽけなものにすぎないボストンでの活動を、彼との合議の上で行うことには同意した。

 この頃、頻繁に郊外の農場で人が襲われる事件が起きていた。ギデオンは調査のために数人のグールを街の外へと派遣したが、いずれも帰ってこなかった。未知の存在が街の存続をおびやかしていると感じたギデオンは、英蘭戦争の勇敢な兵士だったイーサン・モレスビーを最初の継嗣として抱擁し、街の防衛にあたらせた。イーサンは転変後も戦士としてめざましいはたらきを見せ、夜陰に乗じて街にやってくる野盗のたぐいを、街の住人たちが知らぬ間に確実に屠っていったのである。

荒野の暗闘

 1675年、インディアンと植民地との間でフィリップ王戦争が勃発すると、荒野でたびたび狼憑きが目撃されるようになった。イーサンは独断で屈強な男たちをグールに変え、自警団を組織して襲撃者に備えた。消耗品のようにグールを戦わせて、足りなくなれば人間たちの中から補充するというイーサンのやり方は必ずしも父であるギデオンの意に沿うものではなかったが、街の存亡がかかったこの事態に、彼も継嗣の行動に口をはさむことはなかった。

 また同じ頃、英国のウィンチェスター祭儀所から派遣されてきたトレメール魔術師、ジャック・ヴィンセント・カルノーが新たに市内に祭儀所を設けていた。ギデオンは定住を認める見返りに、インディアンとの戦いで疲弊した街の復興に“妖術使い”たちの協力も求めた。当時、セーラムの街で燃えさかっていた魔女狩りは、カルノーのしもべの幾人かも犠牲にしていた。彼は地元の魔女グループとの接触に失敗し、この事件を引き起こしてしまったのである。氏族内での面目を大いに失ったカルノーは、以後、ボストン周辺での活動に力を入れることになった。

ヴェントルーとの闘争

 18世紀に入ると、ボストンは貿易の中心地として押しも押されもせぬ港都にまで成長していた。だが同時に英国本土との緊張も高まりつつあった。ボストン近郊に住む血族の数も増え、ギデオンは事実上の公子として振る舞うようになった。やがて召集されたニューイングランドの大会合でこのことはカマリリャによって正式に追認された。

 街には英国兵の姿が目立つようになった。英国の圧政に異を唱える人間たちが弾圧される中、トレメールのカルノーは英国を支配するヴェントルーの魔手が、本格的にボストンに伸びてきたことを敏感に察知した。彼は長らく連絡を絶っていたウィンチェスター祭儀所と交信し、それが事実であることを確認すると素早い動きに出たのである。数ヶ月のうちに、カルノーは密かに街に潜入していたヴェントルーの密偵とそのアジトを突き止めて壊滅させることに成功した。この功績によって、血族の間でのカルノーの地位はいやが上にも上がったが、同時に旧世界のヴェントルーという強大な相手を敵に回してしまったことも意味していた。

 事態は急速に悪化していった。英国の弾圧は厳しさを増し、植民地の人間たちとの間に一触即発の空気が濃くなっていった。ヴァンパイアたちの間でも、海を越えて迫る敵の圧力に不安の声が高まりつつあった。そして、1773年、有名な「ボストン茶会事件」がボストン市民の手によって引き起こされ、もはや戦争は不可避な状況となった。市内では英国兵と抵抗組織との衝突が繰り返し起こり、夜になるとイーサンを始めとする血族の自警団が街を巡回して、不審な者を狩りだした。

公子交替

 そして1775年、ついに戦端が開かれた。ニューイングランド各所は激戦の舞台となり、数多くの死傷者が出た。開戦と時を同じくして、ボストン版図の血族たちのもとにも次々と刺客が送られてきた。文字通り、ボストン市内は闇夜の暗闘によって血塗られていったのである。この戦いの中、ついにハーバード大学地下に設けられたギデオンの寝処にも暗殺者が襲いかかった。当時、最強の衛士であったイーサンは少数のグールを残して自警団とともに市街に出ており、公子はわずかな手勢で刺客の一団と戦わなければならなかった。数時間にわたる激闘は、公子の寝処の炎上という形で終結した。

 指導者を失ったボストンの血族は震撼した。すぐさま参議による会議が開かれ、善後策が講じられた。協議の結果、長年にわたり参議の首席格であったトレメールのジャック・ヴィンセント・カルノーが新公子として立つこととなった。この後の激闘で、ボストンではさらに多くの血族の血が流されたが、かろうじて旧世界勢力の攻撃を持ちこたえることに成功した。一方、人間たちの戦況は植民地軍に有利に推移していた。そして1776年、英国軍はボストンから撤退し、州会議事堂で高らかに独立宣言が行われたのである。ボストン版図は公子カルノーの即位に続いて新しい時代に入った。

芸術の振興

 アメリカ独立に続いて、大陸ではフランス革命の嵐が吹き荒れた。市民革命の炎に追われて故郷を出奔した貴族出身の血族が、数多く新大陸へと逃れてくるようになった。特にフランスを一貫して支配してきたトレアドール氏族の流入は、他の血族に比べてもいちじるしく多く、長老エレアノールの斡旋もあって、ボストンに少なからぬ“薔薇の血族”が住み着いたのである。エレアノールは市内の各所でサロンや展覧会を大規模に催すようになり、そのときになると他の地方からも血族やその随員、そして事情をよく知らない人間の評論家や芸術家がボストンにやってくるようになった。

 また、大陸からヴェントルー氏族で起業家のミシェル・フランソワ・ルゴフがやってきた。彼はボストンのダウンタウンに居を構えて、海運業を営み始めた。この仇敵ヴェントルーの定住に、今やブルハー氏族の筆頭となったイーサンをはじめ、独立戦争で英国兵と戦った血族の多くが渋い顔をしたが、長期に渡った闘争によって疲れ切っていたボストンの血族たちが、ルゴフ一党に対して直接行動に出ることはなかった。時代は復興期に入っていたのである。

 そして以降の百年の間に、主にエレアノールをはじめとするトレアドール氏族の主導のもとで、ボストンは世界でも比類無い学問の都として数多くの大学、図書館、博物館を構える街に成長していった。トレメール氏族は祭儀所をマサチューセッツ一円に配置して、着実に影響力と知識を増やしていった。逆に、ブルハー氏族はギデオン公子を失って以来内部で不和が広がり、逼塞を余儀なくされていった。特に、武闘派であるイーサンが長となったために、学者だったギデオンの頃とはブルハー氏族の性質自体も、より暴力的なものへと変わっていた。

遠征行

 19世紀も半ばを過ぎた頃、順調に発展を続けるボストンの影で、不穏な動きが起こっていた。郊外に住まう血族やグールが忽然と姿を消す事件が連続したのである。二百年余前に起きた虐殺事件を知る者はイーサンとエレアノールしかいなくなっていたが、洗練された氏族たちが隆盛する中、不遇の身をかこっていたイーサンは、この報せを聞くと再びグールと幼童の一団を率いて荒野へと出かけていった。そしてそのままふっつりと消息を絶ったのである。1850年のことだった。誰もが彼らは狼憑きかなにかに襲われて全滅したのだと思った。

 だが数年後、イーサンはただひとりでボストンへの帰還を果たした。驚愕する血族たちの前で、彼は何も言わずに帰還を報告すると、そのまま寝処へと帰っていった。彼の失踪中のことについて無数の噂や憶測が乱れ飛んだが、結局本人が口をつぐんだままだったので、誰にも真相はわからずじまいだった。ただそれ以後、不満をいつも口にしていたイーサンが打って変わって物静かな男に変貌したことだけは確かなことだった。また、彼の帰還以後、郊外での怪事件は起こらなくなった。

セト教団戦争

 南北戦争が終わって数年後の1869年、ボストン港に一隻の船が夜半に到着した。それはカリブ海からやってきた帆船で、中には黒人の一団が乗り組んでいた。当初、このことは誰も気に留めなかったが、やがて公子カルノーは何かがおかしいことに気づき始めた。コネや尖兵として操っていた神秘家たちの中に、トレメールとの間に距離を置く者たちが少なからず出始めたのだ。幾人かを粛清し、拷問にかけた結果わかった事実は、セト人たちが公子にも知られぬままにボストンに入り込み、地下教団を作って活動しているというものだった。カルノーはこの報告を受けるとすぐさま不届きな邪教徒の殲滅に乗り出した。しかし、暗黒街の勢力と巧みに手を結んだセトの信徒たちは予想外にしぶとく、トレメールとセト人との間の戦争は長期化した。

 この争いの余波を受けて、ボストン周辺では妖しい現象や謎の失踪事件が相次ぎ、警察沙汰も何度が起きるようになった。“仮面舞踏会”の危機を感じた参議たちは、カマリリャに連絡をとって調停を依頼した。かくして、護法官の立ち会いのもと、戦争中の両氏族の代表が交渉の席につき、数週間の討議の後に、いくつかの縄張り協定を結んで妥結した。以来、セト人はサウス・エンド周辺のスラム街に根城を置いて活動を続けることになった。

繁栄のかげり

 最初の世界大戦が終わると、ほとんど被害を受けなかったアメリカは空前の好景気に見舞われた。ボストンの街もまたこの好況の恩恵を受け、大きな屋敷や新しい住宅街などが次々と建設されていった。この時代、長老ルゴフに率いられたヴェントルー“役員会”は、急速に勢力を伸ばして、旧来からこの街に住まう氏族を肩を並べて参議会に参加できるほどの力を蓄えていった。その一方で、貧富の格差は広がり、底辺部では貧民が塗炭の苦しみにあえぐようになっていた。スラム街は繁華街や上流街と同じくらいの速さで広がり、治安は極端に悪化していった。これに呼応するかのように、ボストン版図にも若いまつろわぬ者たち…叛徒がはびこり始めたのである。1929年の大恐慌は後者の傾向に拍車をかけ、ボストンの繁栄にはっきりとかげりが指したのである。

 この衰退と時を同じくして、ニューイングランド北部に巣くっていたサバトの一味が、頻繁にボストン都市圏に出没するようになった。数人の若い血族が彼らの奇襲によって滅ぼされ、ヴァンパイアたちの間に恐怖が広がっていった。公子カルノーは、街に出入りする血族のチェック態勢を強化し、公子への謁見はできるかぎりすみやかに行わなければ、叛意があると見なされかねない緊張状態が生み出されたのである。叛徒の増加とあいまって、ボストン版図には常にぴりぴりした空気が漂うようになっていった。

ギャンレル出現

 1946年、第二次大戦の余熱もさめやらぬ夜のボストンに異変が起きた。公子の宮廷に突然、獣じみた容貌のヴァンパイアたちが現れたのである。驚きあわてる長老たちの前で、彼らははるか昔よりマサチューセッツの地に住んできたギャンレルの一族であると名乗った。指導者らしき最も小柄な老人は、飄々とした調子で他の血族の侵略行為や悪行について並べ立てると、それらは水に流すから、これ以後、協力関係を築いていこうという提案をしたのである。聴衆があっけに取られるのをしり目に、ギャンレルたちは来たときと同様にすばやく姿を消した。公子をはじめ何人もの血族がこの無礼に怒ったが、荒野に住み着く不気味なヴァンパイアたちを怖れて、彼らには手を出さないことに決めたのである。

 以来、ギャンレルは頻繁にボストン近郊を徘徊するようになった。神出鬼没の彼らが何を目的としているのかは、街のヴァンパイアたちにはまったくわからなかったが、時折協力者としてやってくる若手のギャンレルの力は、そうした疑問を脇に押しやるに充分なものではあった。彼らは主に荒野で跳梁するサバトの排除に力を貸したのである。

叛徒戦争

 20世紀初頭から次第に数を増やしてきていた叛徒の勢力は、'60年代には無視できないものになりつつあった。暴力的なライフスタイルを公然と行い、時には長老や公子の指示すらものともしない彼らに対して、断固たる措置をとるべきだという意見が、ヴェントルー氏族を中心に大勢を占めるようになっていった。

 そして1965年、ウォーターフロントで起きた公子の手勢と叛徒との小競り合いが殺し合いに発展して多数の死傷者が出たのをきっかけに、公子側による大粛清が開始された。イーサンの継嗣クエスを鎮守として、主にブルハーとトレメールから成る討伐隊が叛徒のアジトを急襲し、そのいくつかを完全に破壊したのである。捕らえられた叛徒やグールたちは即決裁判で火刑に処され、その煙が深夜の港地区に何本もあがった。血塗られた虐殺は三晩の間続いた。

 しかし叛徒たちも手をこまねいていたわけではなかった。最初の奇襲を逃れた叛徒たちは、指導者レザーフェイスのもと、地下や郊外に潜伏して逆襲の機会を待った。やがて、処刑部隊の動きが静まったのを見計らい、彼らの反撃が始まった。ダイナマイトやトラック爆弾を使った過激な襲撃は、油断していた長老たちを震撼させ、叛徒との戦いは泥沼化の様相を呈し始めた。

 戦いが長引くに連れ、街の各所で暗闘が起き、夜の治安は極度に悪化した。どちらも決定的な勝利をおさめられないまま、数年の時が過ぎた。やがて交渉が行われ、1970年には休戦協定が取り交わされた。叛徒は多大な犠牲を払って、この街に居座り続けることに成功した。長老側もまた反逆者の芽をある程度摘むことに成功したことに一応の満足を得た。かくして、不毛な世代間戦争は終結した。だが、この消耗戦の背後に何者かの影があったのではないか、という不穏な噂はこの頃から囁かれていたのである。

最近の出来事

 '80年代から急速に社会の情報化が進み始めると、ほとんどの長老はそれについていくことができなかった。また'60年代の叛徒との戦争で多くの人材が失われており、時代に乗ることのできた若手がどの氏族でも次第に台頭していった。この傾向が特に著しかったのはヴェントルーであり、その役員会では情報産業に関わる若手の発言力がとみに高まり、世代間の不協和音が相当強く響き始めたのである。

 トレアドールも、長老エレアノールのもとで氏族全体が爛熟した退廃に陥っている。新しい美を模索する若者もいるにはいるが、多数派にはなり得ていない。

 トレメールは、セトの信徒や、現代まで残存している人間の魔女団といった対立勢力と水面下での暗闘を展開しているが、依然として公子の親族としてボストン版図の秩序の一翼を担い続けている。公子カルノーは鉄の支配で見習いたちを統括しており、マサチューセッツ州をはじめニューイングランド各地にエージェントを派遣して、祭儀所の力の拡大を図っている。

 ボストン版図に暮らすブルハーは、最長老イーサンの統率下にあるグループと、スラム街などに拠点を持つ叛徒の一派に分かれている。叛徒たちは気ままで激しい暮らしを続けているが、イーサンのグループにはこのところ目立った動きがないため、いろいろと憶測を呼んでいる。

 サバトの活動は、近年特に活発化している。荒野での闘いは街の血族たちの目に見えないところで推移しているが、時折、一味が市内にまで入り込むことがある。鎮守クエスは彼らの侵入阻止に責任を負っているため、父の先例にならってグールを中心に大がかりな巡回隊を組織し、市内の警邏にあたっている。


血族

The Kindred

公子 The Prince

 ジャック・ヴィンセント・カルノー(Tremere 8th)Jacque Vincent Carnot

 1775年以来、ボストンの公子の座にある“妖術使い”。郊外のボストン大学内にあるボストン祭儀所の理事も兼任しているが、普段は州会議事堂地下に隠されている広間で、公子としての執務にあたっている。
 カルノーはもともと英国ウィンチェスター祭儀所から派遣されたトレメールであり、ボストンへの最初の上陸以来、一貫してこの版図のトレメールを統率する立場にある。野心的な魔術師である彼は、ニューイングランド各地に代理人を派遣して祭儀所の支部を設けさせることで、この地域に隠然たる勢力を築き上げてきた。ボストン版図に住まうトレメール魔術師は、すべて彼の血筋に属している。
 頭から足の先まで全身を闇色の服装でかためている彼の姿は、血族にも背筋に冷たいものを感じさせる不気味なものである。たまに肩口や手の先に異様な生物がうごめいていることがある。

参議 The Primogen

 ボストン都市圏の長老が集う会議。公式には公子の顧問会議であるが、どちらかというと有力な長老どうしの政治闘争の主舞台になっている点では、他の版図と変わりはない。
 主に州会議事堂地下で水曜の真夜中から開催されるが、保安上の理由から別のエリュシオンで臨時に開かれることも多い。ボストン版図の主要な問題が討議され、ここでの決議はよほど障害がないかぎり公子によって承認され執行される。

 西暦2000年夏の時点での常任参議は以下の三人。

 ミシェル・フランソワ・ルゴフ(Ventrue 9th)Michele Francois Le Goffe

 実業家。植民地時代から海運で財をなした人物であり、子孫の名をかたることで二世紀近くにわたってボストン財界の顔役のひとりであり続けている。都市部で強い影響力を保持しているために、人間社会関係のことについては、参議会でも彼の意見が通ることが比較的多い。彼と公子との関係は微妙な力の均衡の上に成り立っているのだといわれている。ただ、ヴェントルーはかつて明確にボストンの血族たちと敵対した氏族なので、そこで醸成された相互不信感は現在でも拭い切れていない。そのことがルゴフにとって悩みの種であり続けている。
 がっしりとした中年男性。ウェーブがかった栗色の長髪と鷹のように鋭い金色の眼を持っている。人前には隙のない洗練されたスーツ姿で現れる。左手の中指にはめたガーネットの大きな指輪が印象的。血の嗜好は二十代の白人女性。

 エレアノール(Toreador 7th)Eleanor

 ボストンに到来以前の彼女については誰も知る者がいない。ビーコン・ヒルに構えた17世紀以来の古い屋敷によく姿を見せ、謁見もそこで行っている。定期的に美術品評会や展覧会などを市内各所で主催しており、夜の芸術界の重鎮として、人間の間にも強い影響力を持っている。トレメールの公子カルノーとは密な協力関係にある。
 この退廃した長老は、いつも少し気だるげで憂いをたたえたとても美しいハイティーンの娘の姿を持っている。亜麻色の流れるような長髪と濃紺の眼を持つ彼女を見た人間の男は、否応なしにその可憐な姿に魅了されてしまう。

 イーサン・モレスビー(Brujah 8th)Ethan Moresby

 先代公子ギデオンのただひとりの継嗣。元は英国軍の兵士だったが、ギデオンに見いだされてからは最も忠実なしもべとして彼が死ぬまで仕えた。公子の死後は、ボストン版図のブルハー氏族の指導者として現代に至る。文字通り鋼のごとき肉体と恐るべき膂力を有する氏族最強の戦士であり、老若を問わずボストン在住の血族たちから鬼神のように怖れられている。
 引き締まった体をタンクトップとロングパンツに包んでいる彼は、いついかなるときでも突き刺すような視線を辺りに放っている。

その他著名な血族

 ナサニエル・ボールドウィン、理事代理(Tremere 9th)Nathaniel Baldwin

 公子カルノーの継嗣で、ボストン祭儀所理事代理。不在が多い父に代わって、ボストン大学内にある祭儀所に詰めて見習いたちを統括している。カルノーの右腕ともいえる存在で、ニューイングランド各地でのしもべの活動の監視も、主に彼の指揮のもとで行われている。
 魔女団との暗闘で傷を負っており、その顔は常に左半分が仮面で隠されている。華奢で長身の若紳士といった風貌で、ここ何十年かは白いスーツを好んで着用している。

 クエス、鎮守(Brujah 9th)Quesse

 参議イーサンの継嗣。悪化する周辺政情を鑑みた公子に任命されて、1993年から鎮守として不法侵入者の取り締まりにあたっている。公子からグール創造の許可を得ており、ストリート・ギャングを中心に強力な自警団を編成している。ボストンの“物置”や、都市圏と原野との境では、彼女のしもべたちを頻繁に見ることになる。
 黒褐色の肌とショートカットの赤毛を持つ、剃刀のような鋭い風貌の彼女は、愛用の茶色のレザージャンパーの中にいくつも凶器を隠し持っているといわれる。夜の街を大型バイクで疾駆するその姿は一見すると叛徒のギャングリーダーにしか見えない。

 イライジャ、ジェレミア、アイゼイアー、宮廷雀(Toreador 8th, 9th, 9th)Elijah、Jeremiah、Isaiah

 ボストンの夜会を支配する三人の宮廷雀。数多くのしもべを用い、版図の中に流れる無数の噂話や評判を巧みに収集して、血族たちの社会的地位を決定づける彼らの言動は、参議たちですらも一目置かざるをえない。宮廷雀の機嫌を損ねた者は、悪評と嘲笑の中で苦しむことになる。重要な夜会には少なくともひとりが必ず顔を出し、談笑の内容に耳をすませている。
 イライジャはいつも薄笑いを浮かべている黒髪長身の青年、ジェレミアは小悪魔的な碧金髪眼の美少年、そしてアイゼイアーは(名前とは裏腹に)妖艶な妙齢の美女である。イライジャは長老エレアノールの継嗣。ジェレミアとアイゼイアーはイライジャの継嗣である。

 アントニオ・ベルゼッティ、首席エリュシオン守護人(Toreador 10th)Antonio Belsetti

 かつて数々の著作で名を博した作家。現在はボストン美術館をはじめとする主要なエリュシオンを管理する者として、ボストンの血族社会で大きな役割を果たしている。夜のほとんどの時間をボストン美術館か公共図書館で過ごしている。他にも数人いるエリュシオン守護人も彼の指導下にある。
 いくぶんくだけた一昔前の服装に身を包んだ中年の紳士。会話では基本的に聞き役にまわり、あまり大声を出したりすることはない。

 アハウ、セト教団代表(Setite 9th)Acolyte Akhau

 サウス・エンドを根城とするセト人の代表者。参議にはオブザーバー資格で出席することがある。この教団の実態は依然として謎に包まれているため、彼がなぜ“侍祭”と名乗っているのかといったことも含めて、わからないことは多い。
 黒い丸眼鏡をいつもかけている華奢な黒人男性。奇怪な装飾品を胸や腕に多数つけている。時折、異様な祈りの声をあげることもあり、彼と会った者は例外なく奇異な印象を抱く。

 レザーフェイス、叛徒の首魁(Nosferatu 12th)Leatherface

 '60年代の叛徒の蜂起で主導的な役割を果たした人物。現在も、スラム街や郊外など叛徒がはびこる地域のどこかに寝処をかまえて、長老の支配に抵抗しているといわれている。自氏族の諜報網とも接触できると噂されており、'60年代に起きた叛徒戦争の折の神出鬼没さは今も長老たちの心胆を寒からしめている。
 全身に戦痕を持つ凶悪な容貌をしたノスフェラトゥ。その戦いぶりのすさまじさは叛徒の間で語りぐさになっているほどである。

 ギデオン、故・先代公子(Brujah 7th)Gideon

 ボストンに最初に住み着いたヴァンパイア。英国で歴史を研究していた“理想主義者”で、新天地に人間と血族とが共存できる街を作るという夢を持っていた。だが、さまざまな怪事件や血族どうしの争闘にさまたげられて、彼の描いた展望は結局果たされることはなかった。
 アメリカ独立戦争の折、英国の血族の放った刺客によって、ハーバード大学地下にあった寝処を襲われ炎の中に消えた。彼の残した継嗣はただひとり、現在の参議イーサン・モレスビーだけである。
 討論に優れたカリスマ的な歴史家で、常に印象的な服装をしていたと言われる。現在ではギデオンの姿や人となりを覚えている者は一握りの長老しかいない。


ボストン版図の重要地点

The Notable Places

ボストン市内

ダウンタウン

 ボストンの中心街であるダウンタウンは、政府機関、金融街、ビジネス街のほか、空を圧する巨大な摩天楼の睥睨する中に数々の史跡を擁する観光のメッカでもある。小径が街中に張り巡らされており、非常に迷いやすいことでも有名である。ちょうど真ん中にはボストン最大の公園ボストン・コモンが横たわっており、昼間は市民の憩いの場として利用されているが、夜になると空気は一変し、怪しげな人影や犯罪者がうろつく危険な地域となる。

ウォーターフロント

 ボストンの港湾地区は、対岸にローガン国際空港を控え、数多くの波止場を備えている。飛行機と船舶の行き来するこの地区も、20世紀中頃には海運の衰退とともにさびれた倉庫街へと変貌を遂げた。60年代から始まった再開発計画によって新しい建物がたてられ、街は往事のにぎわいを取り戻そうとしているが、いったん裏通りに入れば、廃屋と倉庫、たむろする貧民たちを今でも多く見ることができる。

ノース・エンド

 ボストンの北東端に位置するノース・エンドには、17〜18世紀の家並みが保存されている国指定の歴史景観地区がある。植民初期から数多くの移民がここに上陸してきたため、エスニックな情緒にあふれている。19世紀ごろまではアイリッシュや東欧系の移民が多く住んでいたが、20世紀になると主にイタリア系移民がはばをきかせるようになった。このため、ノース・エンドは“イタリア人地区”と呼ばれることもある。

ビーコン・ヒル

 ボストン・コモンを見渡せる丘の上に横たわるビーコン・ヒルの高級住宅街は、今でも煉瓦造りの邸宅が立ち並び、ヨーロッパ風の景観を保っている。19世紀ごろから初期移民の子孫である裕福な市民が住み着いて、現在のような瀟洒な町並みを作り上げた。マウント・ヴァーノン通りをはじめ、WASPが多く暮らす地区である。この一帯は起伏が激しく、坂道の勾配がかなり大きい。また、ダウンタウンの喧噪とは対称的に、静かな空気に包まれている。
 ビーコン・ヒルの西側を縦断しているチャールズ通りは、煉瓦造りの家並みとガス灯、街路樹、そして煉瓦の歩道でできた商店街で、その華麗さから多くの観光客が訪れる界隈である。

バック・ベイ

 19世紀初めまでは海だったが、町の開発に伴ってビーコン・ヒルから切り崩した土砂で埋め立てられて造成された地区。そのため歴史的な建造物は多くはない。東端に位置する植物園パブリック・ガーデンから一直線にコモンウェルス大通りが伸びており、通りの両側には街路樹と五階建てのヴィクトリア調の住宅が建ち並んでいる。中世の趣を残すトリニティ教会をはじめ、異宗派の教会が多い地区でもあり、一方でニューイングランド一の高さを誇るジョン・ハンコック・タワーをはじめとする高層ビルも並んでいる。少し西に行くと、チャールズ川南岸沿いにボストン大学の校舎が林立するキャンパス地区に入る。

サウス・エンド

 ボストンの南側は住宅街が広がっており、ところどころに公衆スポットや商店街が散在している。観光客はあまりこの辺りを訪れることはない。治安が悪い場所も相当存在しており、事情を知らない者が不用意に踏み込めば無事に出てこられる保証はない。特に、バック・ベイ地区に面する一角は非常に汚く、殺人、強盗、麻薬販売や売春が日常的に行われている最悪のエリアである。この辺りを根城にしているヴァンパイアは、概して社会的な身分は低い輩だとされる。この一帯の警察は血族の意のままになっている。この地区のどこかにはセト教団が拠点を持っており、彼らの影響もここの治安悪化に一役かっているのは間違いない。

チャールズタウン

 チャールズ川をはさんでボストン中心街の対岸に位置するチャールズタウンは、植民当時からの古い街であり、独立戦争時には植民地軍と英国軍との激しい戦いが繰り広げられたことでも知られている。ボストン側の海岸には旧海軍基地があり、不敗の戦艦コンスティテューション号が今も係留されている。古くからの家並みが多くあり、ここに寝所をかまえている血族はかなり多い。

ケンブリッジ

 チャールズ川の対岸には、学園都市として名高いケンブリッジの街がある。ここには、名門校ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学をはじめ六十以上の大学が存在し、町全体が劇場やカフェ、商店街などが散らばる学生街としてにぎわっている。学究系の血族は豊富な資料や人材を求めて、ケンブリッジ市内や大学構内にその多くが寝処を構えている。中にはいずれかの大学の講師として入り込んでいる者も少なくはない。


ストーリーフック

Seeds of Conflict

 ボストン版図で想定されるいくつかのストーリーフックを紹介する。
 今後も追加予定。

トレメールの野心

内憂外患

見えざる脅威