A Hunger for Vengeance
ASSAMITE |
アサマイト。
砂漠の彼方、山岳の奥地より襲い来る血の旋風。闇と静寂とフードの奥にその身を隠し、神出鬼没に歳古りた長老を容赦なく抹殺する暗殺者たち。はるかな太古より十字軍時代を経て、現在に至るまで、「アサマイト」の名は血族たちの間に血も凍るような恐怖を呼び起こしてきました。そしてその実相は、多くの殺し屋がそうであるように、曖昧模糊としてわからぬことだらけです。
かつて一度だけ、キャマリラは彼らに対して勝利をおさめ、その力の多くを奪うことに成功しました。しかし、彼らは数千年以上もの間そうであったように姿を隠し、復讐の機会を待ちました。
そしてついに時は満ちました。トレメールの呪いが解けるとともに、彼ら「ハキムの子ら」の刃は再び鞘走り、数百年前そうであったように闇の世界に血の華を咲かせ始めたのです。
The True Jyhad |
アサマイトこと「ハキムの子ら」(Children of Haqim)の歴史は、西洋の血族たちにはほとんど知られていません。また、アサマイトらも意図的に誤情報を流し、わずかな知識すらも混乱へと追いやっています。以下で述べる歴史は、ハキムの系譜に新たに加わった者に、氏族の長老が教える内容です。
ハキムの子らは、自分たちこそ最古の氏族であると胸を張っています。その長い闘争は、彼らが「カフィル」(kafir:異教徒)と呼んで憎悪する他の氏族同様に「最初の都」から始まりますが、いっぷう変わっています。そこでは、太祖カインは侵略者として描かれているのです。
ハキムの子らが「エネシュ」(Ene'sh)と呼ぶ「最初の都」は、カインが流浪の果てにたどりついた偉大な都市でした。彼はそこで二人の第2世代を作りました。それはこの都の王と王妃でした。カインは支配者たちを永遠の命と力で籠絡することで、エネシュを乗っ取ったのです。
この簒奪劇はひそかに進められたのですが、ただひとり、カインがいかにして王夫妻を化け物に変え、都をおのがものにしたかを知った者がいました。それがエネシュの将軍ハキムでした。彼は新参者のこの所業に憤り、信頼する兵士たちを集めると、魔物と化した王と王妃を昼間に襲い、その首をはねました。しかし、ハキムは怨敵を滅ぼすためにさらに一歩を踏み出したのです。それは、自らの首を斬り、殺した王と王妃の血を部下たちから死に際に飲ませてもらうことで、自分もまた魔物と化すという大胆なものでした。
驚きあわてる部下たちの前で、ハキムははっきりと断言しました。
「心配するな。我が大義は正しい。私は魔獣の力には魔獣の力でもって抗するのだ」と。
この言を聞いた部下たちはこの聖なる戦いのために自らの血を差し出し、ハキムの力となしたのです。
夜目覚めたカインは、王と王妃が殺されていることに気づいて激怒しました。都を荒れ狂う彼の前にハキムは立ちはだかり、戦いを挑みました。しかしいまだ力弱く、〈変容〉による苦痛が癒えていなかったハキムは敗れ去り、血を飲み干されて砂漠に捨てられてしまいました。陽光を怖れてカインが去ると、ハキムの部下たちは主人の骸を布で隠し、彼を癒すために王と王妃の血をたずさえてそのまま都を出奔しました。
傷を癒しながら何年もの間さすらったハキムと部下たちは、はるかな山奥、カインの目も届かぬような秘境に居を定めました。彼らが造った堅固な要塞は「アラムート」(Alamut)すなわち「鷹の巣城」と呼ばれました。そこでハキムは優秀な部下たちもまた自分と同じ体に変え、カインとその落とし子たち(カインはエネシュで第2世代を新たに3人作りました)に戦いを挑むべく準備を始めたのです。
ハキムとその子らが着々と反撃の準備を整える一方、カインの子らは新たに第3世代を作り、さらに第4、第5世代が生まれました。やがて大洪水と骨肉の争いによって「最初の都」と「第二の都」が滅び、カフィルたちの間で「ジハド」(Jyhad)が始まりました。しかしその呼称はハキムの子らにしてみれば笑止千万なものでした。なぜなら、真の「ジハード」(jihad)とは、彼らがカインの落とし子たちが争い合い、自滅するよう仕掛けたひそかな闘争のことを指していたからです。
しかし、第4世代、第5世代のカフィルたちはハキムの子らが思っていたよりもずる賢く、血筋をもとに団結して氏族を作りあげました。そして興亡を繰り返す人間の国々を裏から操り、隠された知識を探求し、やがて自分たちをつけねらうハキムの子らの存在にも気づきました。ところが、彼らは愚かにもハキムの子らが自分のライバルを滅ぼしてくれることを期待しながら、城壁の中にこもることを選んだのです。
この敵失によって、ハキムの子らは思うがままにカフィルたちを襲い、殺し、喰らうことができました。この時代、ほんの若造のラフィク(rafiq:ハキムの子らの成員)ですら、強大なプリンスと同じくらい怖れられていたのです。ヴェントゥルーをはじめとするカフィルたちは、帝王らを操って何度もハキムの子らの討伐を敢行しましたが、山奥に攻め込んだ軍勢は誰ひとりとして帰ってくることはなく、ペルシアのダリウス王、マケドニアのアレクサンダー王、ローマのクラッススやパウリヌスといった英雄をしてもこの謎めいた一族に指一本も触れることはできませんでした。
やがてローマが滅び、中東でイスラムが興隆すると、ハキムの子らは、イスマイルという導師に率いられてアラムート近くに住み着いたイスラム教徒たちと友好関係を結びました。彼らは堅牢なアラムートの衛士となり、共に敵にあたるようになったのです。この時代、ヴェントゥルーに後押しされた騎士たちや、トレメールによって結成されたテンプル騎士団が幾度もアラムートを見つけだそうと軍勢を繰り出しましたが、いずれも失敗に終わっています。
そして十字軍が始まると、ハキムの子らはイスマイル派の戦士たちと連れだって西欧の陣営を荒らし回りました。彼らの夜陰や静寂に乗じた仮借のない殺戮から、有名な「アサシン」伝説が生まれたのです。その災禍におそれおののいた西洋のカフィルたちは、未知のヴァンパイアたちのことをこの伝説にちなんで「アサマイト」と呼ぶようになりました。
西欧で魔女狩りの嵐が吹き荒れると、それをかろうじて生き延びたカフィルの長老たちは集ってキャマリラを結成しました。彼らは自分たちに従わぬ者を討伐すべく四方に軍勢を放ちましたが、その目標の中には当然、ハキムの子らも含まれていました。ハキムの子らは反キャマリラ勢力にも憎まれていました。両党派の激戦の間を渡り歩く彼らは、キャマリラ・反キャマリラ関係なくカフィルたちを殺戮していったからです。
血塗られた黄金時代を謳歌していたハキムの子らの栄光をうち砕く先鞭をつけたのは、自分たちの闘争の背後に彼らの存在があることに感づき始めたカフィルたちではありませんでした。常勝に酔い、慢心を深めたハキムの子らの一部が、アナーク大反乱の影響を受けて、氏族の長老たちから公然と離反したのです。彼らはハキムの教えに背を向け、アラムートを去りました。この分裂によってハキムの子らの力は大きく減殺されたのです。さらに追い打ちをかけるかのように、ハキムの子らと盟を結んでいた人間たちが、カフィルたちの奸計にはまって反旗をひるがえしました。彼らの手引きによって、アラムートの麓まで敵の大軍が攻め寄せることになったのです。そして、アラムート城内でノスフェラトゥの密偵が発見されたことで、ハキムの子らは自らの敗北を悟りました。
かくして西暦1496年、アラムートの主「山の老人」は山を下り、キャマリラとの間に屈辱的な和議が結ばれました。「ティルスの和議」と呼ばれるこの条約によって、ラフィクたちの完全な滅亡は防がれました。しかし、それには大きな代償がつきました。トレメールの施した呪いの儀式によって、ハキムの子らはヴァンパイアの血を飲むことができなくなったのです。これによって、彼らは始祖ハキムの大義を果たすための「血の道」(Path of Blood)を進むことができなくなってしまいました。
苦難に満ちた「聖遷」(ヒジュラ)の時代が始まりました。
呪いをかけられた子らは、アラムートを失い、世界を放浪する境遇に落ちたのです。ハキムの教えはいまだしっかりと彼らの胸に刻まれていましたが、「三つの城」を再建するための長い長い探求の旅路が砂漠の果てに待ち受けていました。
「三つの城」とは、ハキムの子らがかつての栄光を取り戻し、始祖の大義を果たすために取り戻さねばならない三つのものを指していました。それは、
この「三つの城」すべてを取り戻し、「聖遷」を終わらせるため、ハキムの子らは命を賭して使命を果たそうとしたのです。
聖遷の始まり以来、ハキムの子らの復活を怖れるカフィルたちの熾烈な攻撃は幾度となく彼らを襲いました。最も最近のものがアフガニスタン戦争でした。中央アジアに拠点を置いたハキムの子らに対して、ロシアを牛耳るブルハーたちが大攻勢をかけたのです。ハキムの子らは暗殺の手をタシュケント、キエフ、ロストフ、ボルゴグラードの長老たちにのばし、この危機を乗り切りました。90年代にはロシアで強大なメトセラが復活を遂げ、それは大いなる影となってハキムの子らにものし掛かりました。世界のその他の地域でも、ハキムの子らは狩られ、追われ、幾人もが敵の手にかかって滅んでいったのです。
西暦1998年、長い雌伏と苦難の時を経て、ハキムの子らはついにトレメールの呪いを打ち払うことに成功しました。いまだ「屈せざる者」(The Unconquered)ら、袂を分かった同胞たちとの合流は果たしていませんが、アラムートもまたアフガニスタンの山中に幾たびかの遷都を経て建立されました。復讐を始める用意は整いつつあります。キャマリラの呪縛を脱した彼らは、数百年ぶりの殺戮の宴に心躍らせています。おびえるカフィルどもに裁きの切っ先を突き刺す時が来たのです。
ハキムの子らは、今、復活を遂げました。
円月刀は再び星の光を浴びて、敵の胸で照り輝くことでしょう。
Initiation of Assamites |
ハキムの子らの間では、新たに〈抱擁〉する者が一個人の独断で選ばれることは決してなく、必ず氏族からの選抜を通さなければなりません。各地を旅するアサマイトたちの目的のひとつには、優秀な候補者を見つけだして、氏族に紹介することも含まれています。かつてこの氏族は中東やインド出身の男性しか〈抱擁〉しませんでしたが、1746年以降は女性が、その百五十年後にはヨーロッパ人がはじめて受け入れられました。現在では、充分に有能であれば選抜対象となりえます。
選抜では、まず第一に、殺しの技に特別長けているか、あるいはある分野に特に秀でていることを証明した者がまず選ばれます。第二に、指定された相手を躊躇無く、精神的なダメージを受けることなく速やかに殺すことができるかどうかが試されます。すばやく現場から立ち去り、戦においては殺しは正当であるという信念を常に貫かねばなりません。最後に、忠誠心に篤く、氏族の信念と最終目標に賛同する者でなければなりません。
候補者は数年間の観察期間をおいて選抜されます。観察を行うのは、候補者を連れてきたアサマイトより高位の者であるのが通例です。合格者はアラムートへと招かれて、ハキムの戦士としての訓練が始まります。
訓練が始まると、入門者たちは一団にまとめられて修練を受けることとなります。この修練はアラムートで7年にわたって行われ、その間、入門者はアラムートに在住のラフィクたちに血を提供する義務を負います。また、血を与えられてグールとなり、アサマイトの「血の道」や訓えなどを伝授されます。
7年間の訓練が終わると、入門者が〈抱擁〉に値するかどうか最終的な判断が下されます。この最終審判は、毎年決まった日にアサマイト全員の列席のもとで行われます。アサマイト各人はこの氏族で最も神聖な儀式の日にアラムートに帰れるよう毎年やりくりします。〈抱擁〉はひとりの血親によってではなく、氏族の至宝であり忠誠の対象である「心臓の血」(Heartblood)を使って行われます。最終審判で不適格とされた入門者は、その夜の宴の晩餐に饗されます。
Hierarchy of Alamut |
アサマイト氏族は、階層構造を成していますが、トレメールのように〈血の契り〉で縛られる必要がありません。そのメンバーは一人残らず氏族への忠誠と愛、ハキムの教えへの信仰、そして恐怖と洗脳に骨の髄まで満たされており、決して裏切る心配がないからです。こうした徹底した教育は、入門したその夜から滅びるその時まで永遠に続きます。この強固な結びつきこそが、ハキムの子らをして数千年の包囲に耐えせしめた原動力なのです。
アサマイトには、以下の5つの階位があります。
Tradition of Haqim |
アサマイトは、身命を賭して守るべき七つの徳を奉じています。これを「カバル」(khabar)と呼びます。これこそがアサマイトを一致団結させてきた真の力だというものもいます。カバルは城を守る七つの塔の譬えで語られます。どの塔が崩れても城は落ちてしまうのです。
以下が七つのカバルの概要です。
Path of Blood |
他の氏族の者たちは、ハキムの子らの従う「血の道」とは、同族喰らいによって力を増そうという唾棄すべき野望であると短絡的に思いこんでいますが、もちろん真実は違います。これはハキムの教えの中核を成し、この氏族の行動理念の中心でもある複雑な哲学体系なのです。
「血の道」ではまず最初に、自滅に誘うことでカフィルたちを倒すことを教えます。アサマイトの究極目標は、まず第一に今まで受けた苦しみに対する復讐であり、この世から血族を一掃するというハキムの神聖な任務を完遂することだからです。
次に、より神秘的な教えが伝授されます。「血の道」の階梯を登ることで、ラフィクたちは〈一なるもの〉となることができるのです。この秘教的な概念には、ハキムとの霊的合一、そしてそれに伴って他の血族の言うゴルコンダに比すことのできるような悟りの境地に到達することが包含されています。頂点にたどりつくことによってのみ、ラフィクは〈一なるもの〉となることができるのです。
アサマイトは常に「血の道」のより高みに登ろうと自己研鑽を怠りません。ハキムの教えにつながるものを探求し、カバルの徳を積み、内的鍛錬を重ね、他の血族の血を容赦なく狩り、そして自らがカインの落とし子ではなく、ハキムの子であることを再確認し続けるのです。