Rune-line

サーター王国

(1)歴史

Brief History of Kingdom of Sartar

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2000/11/30 ぴろき
この記事はホビージャパン刊『グローランサ年代記』を参考にして書いたものです。

 サーター王国は、オーランス神を奉じる嵐の民(オーランス人)が興した国でした。聖なる王家のもとで、多くの部族が手を取り合って平和に暮らしていたこの偉大な王国は、約二十年前に北方からやってきたルナー帝国によって滅ぼされてしまいました。しかし、風の蛮族たちの中で、かつての栄光の記憶は決して色あせてはいません。長い雌伏のときを経て、今、彼らは大反攻のときを迎えているのです。

 嵐の民がケロフィネラと呼ぶドラゴン・パス地方の南東に栄え、月の魔手の前に滅んでいった悲運の王国の歴史と、今に至る反乱の系譜を概観してみましょう。


再入植

 第二期を終焉させた“ドラゴンキル戦争”で人類が一掃されて以来、第三期に入って何百年もの間、ドラゴン・パスは禁忌の土地として恐れられ、誰ひとりとして立ち入ろうとする者はいませんでした。その間に、人の手を離れた自然は豊かに栄え、獣たちも狩人を警戒する必要なく殖えていきました。やがて、人間たちが新天地を求めて禁断の地にもう一度住み着こうとし始めるころには、ドラゴン・パスは山と森と肥沃な平野に彩られた土地になっていたのです。特に、後にサーター王国が建設されるドラゴン・パス南東部の分水嶺の一帯は、東のプラックス平原に住む遊牧民も西の平野に暮らす騎馬の民も近寄らない絶好の入植地でした。

 1300年ごろ、南方を離れて最初にこの分水嶺地方にやってきたのは、コリマー氏族と呼ばれるオーランス人たちでした。彼らは冬に育つ黄色い葡萄酒の種をたずさえて入植し、クリアワインという最初の村を作りました。

 その後、南方で戦禍が激しくなったために、数多くのオーランス人たちが故郷を捨てて北に活路を求めました。彼らはいくつかの部族にまとまりながらクイヴィン山の山麓一帯に住み着いたので、ひとまとめにクイヴィン族と呼ばれるようになりました。彼らはその後も周辺の土地に集落を広げていき、時には先住の獣人たち(ダックなど)とぶつかることもありました。こうして、サーターがやってくるまでの百数十年の間、オーランス人たちはおたがいに離合集散を繰り返しながら、この山がちな地方に定住していったのです。


サーターの到来

 1470年、南方からひとりの賢者がやってきました。その名はサーター。彼はそのころすでに数多くの魔術に通じた英雄でしたが、他のオーランス人たちと違って、相手に対して武器を振るったり魔術で傷つけたりすることがまったくありませんでした。彼は“移動のルーン”を完全に修得していたため、余人でははかりしれないいくつもの奇跡を起こして、人々を感服させました。そして、彼の起こした奇跡の中でも最も偉大なものが、それまで相争っていたクイヴィンの諸部族の間を調停し、やりとりの場として、それまでオーランス人たちが知らなかった“街”の造り方をはじめて示したことでした。

 最初の街はウィルムズカークと呼ばれ、クイヴィン山の南麓に建設されました。サーターは造った街の周囲に住む部族たちを集めて“街の輪”という協力関係を結ばせました。彼らは街に集っていろいろなもめ事を話し合うことを教えられたのです。その後も、サーターはこの地方のあちこちに街を建てて、その周りに暮らす人々の間に平和をもたらしてまわりました。東の荒野に住んでいた人狼であるテルモリ族は“街の輪”に加わることはありませんでしたが、サーターの説得を受け入れてオーランス人集落への襲撃をやめました。こうして、オーランス人諸部族は次第にサーターを中心にひとつにまとまっていったのです。


王国の成立...1492年

 1492年、サーターはそれまで自分についてきてくれたあらゆる人々をクイヴィン山の谷間に集めました。そこで彼は最大の魔術を行い、一夜にして堅牢な外壁を谷間に築き、名高い都ボールドホームを建設しました。この街にはすぐにたくさんの建物が建てられ、その奇観とあいまって山麓の人々の間に大きな驚異の念を抱かせたのです。族長や王たちはこの都市の創立を祝い、それまでよりももっと大きな集まりに参加することに同意しました。彼らはサーターをクイヴィン族の長(皇子)に選び、サーターは“サーターの輪”を組織しました。サーター王国の成立です。

 二年後、サーターは西の草原に暮らす草飼う民の長“羽馬の女王”から挑戦を受けました。彼女の課した秘密の試練に打ち勝ったサーターは、その年の聖祝期に女王を妻として迎え、ドラゴニュートの超王(この不思議な種族の王)から厳かに“ドラゴン・パス王”の名を受け取ったのです。以来、サーターの血筋に連なる大族長は“サーターの皇子”と号されるようになりました。ただし“ドラゴン・パス王”の名は代々の“羽馬の女王”をめとった者だけが得ることを許されました。女王は二年の間サーターとともに暮らし、長男サロニルが生まれると草飼う民のもとに帰っていき、二度と戻ることはありませんでした。

 1497年から、サーターは王国に街道を敷き始めました。それは美しい石畳と壮大な石橋でできた立派な道であり、クイヴィンの山々を縦断してどこまでも伸びていきました。街道はサーターの街々を結び、南の海岸から北のターシュ王国(北方からやってきたオーランス人の国)までをつなぎました。通商はこの便利な道を通って盛んに行われるようになり、無数の旅人がサーターの国を訪れたのです。そしてこのころ、サーターは長年オーランス人と反目してきたダック族のもとを訪れ、彼らと同盟関係を結ぶことに成功しました。

 その後もサーターは数々の偉大な魔術や奇跡をあらわし、王国内外のすべての人々に愛されました。そして1520年、彼は一族や司祭たち、彼に付き従う多くの者たちをボールドホームを見下ろす宮殿に集めました。何千人もの人々がかたずをのんで見守る中、サーターは巨大な真鍮の壺に“サーターの炎”を灯して最後の祝福と訓示を与えると、我と我が身をその炎で焼き尽くして神となったのです。王の死後、王国の守護神となった彼を奉じるカルトが作られ、それを率いる王族たちは“サーターの炎”からサーター自身の声で助言を受けることができました。


王国の盛衰

 サーターの跡を継いだのは長男のサロニルでした。彼はドワーフやターシュの王を友とし、善政を敷きましたが、長子サロタールを失うという悲劇に見舞われました。これを凶兆と見たサロニルの甥ドラサールは、部下たちとともに東の方プラックス平原に赴き、そこに横たわっていた巨人の廃都の隣に新しい街を建設しました。“新パヴィス”と呼ばれたこの街はサーターのならわしにのっとって浄められた街でしたが、あまりにも遠かったために王国が滅亡するまではサーターの人々に省みられることはほとんどありませんでした。

 次の王ジャロラーのときに、盟邦ターシュが北方からやってきたルナー帝国の手に落ちました。ジャロラー王は北の同胞たちをルナーの魔手から救おうと、砦を築き、手勢を率いて奮闘しましたが、アルダチュールの街を守る戦いで戦死を遂げました。彼の継嗣ジャロサーもまたルナーの策謀によって命を落とします。これ以後、ドラゴン・パスを侵略するルナーとの果てしのない戦いが続くことになりました。

 五代目のターカロール王は、光の神イェルマリオを崇める一団を受け入れて、新しく手に入れた辺境の土地に住まわせました。これが精強な傭兵団で知られる“陽の天蓋寺院”のはじまりです。彼もまたルナーとの戦いに尽力し、その中で“羽馬の女王”と結婚して二人目の“ドラゴン・パス王”となりました。しかし、ルナーの支配に抵抗するターシュの流民たちを助けるために“灰色熊の峰の戦い”に出征したとき、圧倒的なルナーの魔術力の前に妻ともども倒れました。この敗戦からかろうじて生き延びた王子テラサリンは、アルダチュールに向かうルナー軍を電撃的に襲って敗走させ、この北の街の人々を王国に参加させることに成功しました。


ボールドホーム陥落...1602年

 テラサリン王が飢えた恐竜の餌食になるという悲惨な死を遂げた後、サーター王統最後の王となるサリナーグが即位しました。彼の戴冠式には数多くの凶兆が宮殿にあらわれ、太陽もまるで真冬のようにかげったといわれています。サリナーグ王は死の神フマクトの加護を求め、それに賛同した戦士たちはいまだ若き王子ハーサルターを筆頭に、王国を死ぬまで守る誓約をたて“死の一門”と呼ばれました。しかしそれでも王国の凶運をくいとめることはできなかったのです。

 運命の1602年、ついにルナー軍はサーター全土を征服するために大軍勢を発し、王国に襲いかかりました。不死の“赤の皇帝”自らが軍を率いて南下し、サーター軍が待ち受けるルーンゲート砦へと迫りました。“死の一門”は逆襲をかけ、立ちふさがる者すべてを打ち倒して猛然とターシュ本土へと進撃しましたが、ルナーが建設していた昇月の寺院が作り出す赤き月の結界“グローライン”の力を浴び、あえなく敗走を余儀なくされました。

 中天に浮かぶ満月のもと、ルナー軍の夜襲が始まりました。アップランド湿原から呼び寄せられた死人の軍勢がサーター軍の陣営を襲い、無数の亡霊たちが辺りを飛び回りました。オーランス人の戦士たちは勇敢にアンデッドどもと戦いましたが、この戦いで多くの者が精根尽き果ててしまいました。そしてそれを待っていたように、翌朝、ルナー軍は城塞に総攻撃をかけました。死骸を踏み越えて迫る圧倒的な敵軍を前にサーター軍も必死に抵抗しましたが、その夜に混沌の巨大な怪物クリムゾン・バットが来襲すると、塔は引き裂かれ、街の住人はひとり残らずむさぼり食われてしまったのです。

 勢いに乗って進撃するルナー軍の前に、サーターの誇った街々は次々と陥落していきました。クリムゾン・バットの襲来から辛くも逃げ延びたサリナーグ王は、軍勢を立て直して首都へと後退しました。そして、ついに山間の要塞都市ボールドホームでの最後の戦いが始まったのです。首都防衛の先頭に立ったのは“死の一門”の戦士たち。女子供や老人は秘密の抜け道を通って落ち延びたものの、街の住人のほとんどが聖なる都を守るために留まることを選びました。頼みの綱の援軍はすべてルナー軍によって途中で打ち破られ、事態はもはや絶望的でしたが、誰ひとり確実な敗北を前にして逃げ出すものはいませんでした。

 王国最後の軍勢はまるで魔物のような獅子奮迅の戦いぶりを見せました。蛮族たちの死を賭した抵抗を踏みつぶすべく、ルーンゲートに陣取っていたクリムゾン・バットも決戦場に向かって飛来しました。が、そのとき、どこからともなく巨大な竜が現れたのです。ドラゴンはボールドホームを襲うのではなく、近づいてくる真紅の悪魔に向かって飛びかかりました。二頭の巨獣がおそろしい戦いを繰り広げて相討ちとなる一方で、月と嵐の魔術師たちがたがいに最強の魔術を放ちあい、激戦の地は赤と銀の閃光が絶え間なく爆発する凄絶な光景に彩られました。断崖から滑空してくる赤の女神の女祭たちを迎え撃つため、飛翔の技を持つ風の戦士たちがボールドホームから飛び立って、猛然と空中戦を繰り広げました。

 死闘はいつ果てるともなく続きました。赤の皇帝もハーサルター王子との一騎打ちで手傷を負うほどでした(王子は皇帝の策略によって討ち取られました)。しかし、ついに決着のつくときがやってきました。いかなる報酬によって雇われたのか、突然来襲したドラゴニュートの大軍勢がボールドホームの城壁に殺到し、大挙して市内へとなだれ込んだのです。竜人たちはサーターの寺院を打ち壊し、王宮に火を放ちました。聖なる“サーターの炎”は消されて強力な魔術で呪われました。

 最後まで残った者たちは必死にあらがいましたが、多くは殺され、生きて捕らえられた者は奴隷として売り飛ばされました。奇跡的に脱出した者もいましたが、サリナーグ王をはじめとする王族と“死の一門”は誰ひとりとして生き残りませんでした。ボールドホームはこの日、陥落したのです。

 ルナー軍は各地の街に駐留すると、苛酷な税をすべての部族にかけて占領統治を始めました。こうして、サーター王国は建国以来百十年で滅亡したのです。


カリル・スターブロウの乱...1613年

 ルナー帝国によってサーター全土が制圧された後も、オーランス人たちの激しい抵抗は各地で何度も燃え上がりました。それぞれの街に置かれたルナー軍は、それまでなかった重い税を彼らに課し(部族連合だったサーター王国には税というものはありませんでした)、暮らしの根幹を成すオーランス信仰を厳禁したのです。帝国からやってきた徴税官と宣教師たちが村々を廻り、支配者が誰であるかということをサーターの人々に教え込もうとしました。ルナー当局は不満分子や蜂起に対して断固とした態度をとる一方、王国崩壊後に再燃した部族間の争いに巧妙に介入し、地元民どうしの反目を煽ったのです。ルナー軍に協力する氏族は優遇され、反発する氏族は弾圧されました。この「分割して統治せよ」の政策によって、サーター王国の達成した諸部族共和の美しい伝統は次第に土台から腐らされていったのです。

 抵抗の芽がつぶされていく中で、1613年、ボールドホーム陥落後最大規模の反乱が発生しました。反乱の指導者は、ケルドン部族の長で王族の血を引くカリル・スターブロウ(“星の眉”)という女性でした。彼女はクイヴィン族の中でも特に強力ないくつかの部族を糾合して、再びサーターの輪を復活させるため決起したのです。そしてカリルには数多くの力強い仲間たちがいました。かつてないほどの規模で旗揚げした反乱軍は、オーランス人にとって聖地である“勝利者オーランスの丘”の寺院を略奪しようとしたルナー軍の裏をかき、これを壊滅することに成功しました。この大勝利を目にしたサーターの人々は、今度こそルナー人を故郷から追い出せるのではないかと大きな期待を抱きました。

 しかし、この非常事態を解決するため新たに着任した“博識”ファザール将軍がこの希望を打ち砕きました。ターシュの名将だった彼は、すばやく麾下の忠実な軍勢を集合させると、反乱の鎮圧に乗り出しました。ファザールの迅速な行動と、次々と増援されるルナー軍の前に、カリル率いる反乱軍は劣勢を余儀なくされました。そしてファザールは王家の血を誇示するカリルを屈服させるため、“正統なサーター王位継承者”をボールドホームに入城させたのです。その者の名はテマーティン。哲人王を夢想するランカー・マイの学者であった彼は、帝国と同胞との間の橋渡しとなることで自らの理想を達成しようと考えたのです。

 新王即位の報に震撼した反乱軍は、ファザールとの交渉に応じました。会見場所に赴いた指導者たちは、そこでルナーに逆らった者が投げ込まれるおそろしい地獄の光景を見せつけられました。この恫喝の前には、さしもの英雄たちも屈服するしかありませんでした。カリル・スターブロウはルナーの追及の手を逃れていずこかへと去り、反乱は失敗に終わったのです。ファザールはボールドホームに進軍してテマーティンに歓迎されました。ファザールは、この反乱の元凶はダック族であると断定することで事態を収拾しました。そして哀れなダックたちは、これ以後帝国によって指名手配されることとなったのです。


ホワイトウォール陥落...1621年

 かいらいの王のもと、ルナーのサーター支配は確実なものとなっていきました。分断政策は着実に功を奏し、オーランス人は互いの隣人たちとささいなことを巡って相争うようになっていきました。その間もルナー帝国の征服は続きました。ドラゴン・パスの南に広大な領土を有していた大国“聖王国”もまた帝国軍の怒濤の進撃の前にそのほとんどの地方が屈服しました。ドラゴン・パスへの再入植以前からオーランス人が住んでいた南方の高原地帯ヒョルトランドも、赤い月の威光の膝下に屈しました。

 オーランス人の拠点で唯一残ったのが、ヴォルサクシ部族の街ホワイトウォールでした。1619年にルナー軍がこの地に入ってきたときから、この白亜の城塞都市には帝国の侵略に抵抗する人々が集まるようになりました。南方の他の土地が征服される中でも、ホワイトウォールだけは頑強に反抗を続けたのです。クリムゾン・バットの来襲すらも、ヴォルサクシの王ブライアンのもと必死に戦う守備隊の前に撃退されたほどでした。いつしか、ホワイトウォールは、帝国の宗教に刃向かうオーランス信仰そのものの最後の根拠地と見なされるようになりました。ルナー帝国は、この街を落とすことでオーランス自身を追い落とすことができると信じたのです。

 1621年、大魔術師である“聡明なる”タティウスの指揮のもと、ホワイトウォール攻略戦が始まりました。七つの流星が赤い月から街に向かって落とされ、難攻不落の城塞のいくつかの要所を破壊しました。凄絶な稲妻が何本も城内に向かって放たれ、ルナー軍は七つの傾斜路を魔術で盛り上げて市内への突入をはかりました。守備隊の抵抗も強力で、少なからぬルナー兵が犠牲となりましたが、帝国軍は圧倒的な数でホワイトウォール市内になだれ込んだのです。

 ところが、不思議なことに市内には誰も残ってはいませんでした。見つかった死体はわずかに二十三体。街の大部分は破壊されていました。そしてルナー軍の損害は相当なものに達したと噂されました。ブライアン王をはじめとする要人たちも忽然と姿を消していました。

 ともかくもホワイトウォールは陥落しました。オーランス神の最終的な失墜を祝い、帝国全土で盛大な祝祭がもよおされました。赤の皇帝は次の一年は祝賀の年だと宣言しました。が、その喜びも束の間、オーランスの大聖日から帝国の辺境支配を揺るがす大事件が立て続けに起こったのです。抵抗の象徴的存在だったブライアン王が突然姿をあらわして、決起をうながしながら各地を回り始めました。これに驚いたルナー当局は彼をなんとか抹殺しようとしましたがすべて失敗に終わりました。翌1622年の春には、聖王国の各地で反ルナー運動が激化しました。同時多発的に起こる反乱の前に、ルナー軍司令部も動揺しました。そしてこの一連の騒ぎの責任は、ファザール将軍に押しつけられたのです。彼は解任され、後任にはホワイトウォール攻略を指揮したタティウスが就任しました。

 ファザールは、「政治家どもの間でもう一日過ごすくらいなら、多くの友人に囲まれて暮らすほうがずっといい」という言葉を残して故郷に帰っていきました。


英雄戦争へ

 かくして、カリル・スターブロウの乱を鎮めた帝国の名将は去りました。ブライアン王を筆頭に各地で燃え上がり始めた反乱の炎は、再び大いなる潮流となってサーターの民とその周りに生きるすべての者たちを呑み込もうとしています。予言に語られる英雄戦争はもう間近に迫っています。海の彼方からやってくる英雄の一団が、渦を巻き始めた情勢に決定的な一石を投じることになるでしょう。その中には、次代のサーター王たる英雄アーグラスがいるのです。

 しかし英雄は彼らだけではありません。風のごとき自由を愛し、嵐のごとき強さを持ったオーランスの民は、そのひとりひとりが来たるべき戦いの一翼を担うことができるのですから。

 そして、“サーターの炎”が再び灯る日は、そう遠いことではありません。


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