Rune-line

ルナー帝国

(1)概略と歴史

Brief History of Lunar Empire

Rune-line

2000/07/20 ぴろき
この記事はIssaries Inc.オフィシャルサイト所収の
「The Redline History」を参考にして書いたものです。

赤き月の帝国

 ルナー帝国。

 中天に不気味に輝く赤き月の女神を奉じ、世界全土をその膝下に置くことを目標とするこのグローランサ最大の国家は、その洗練された文明、高度な社会、緻密な教学を擁する宗教、そして強大な月の魔術を駆使する軍隊でもって、約四百年前の建国以来、ジェナーテラ大陸の諸国を次々と屈服させてきました。

【版図】

 ジェナーテラ大陸の中北部、そこには南北に流れる大河オスリルを中軸として四方に広がるペローリア地方が横たわっています。月の帝国ルナーは、この文明地域を中心として、隣り合う辺境地方へと拡大の手を伸ばしてきました。

 第三期1621年現在、その版図は東はペントやプラックスの大荒野、西はペローリアから流れ下る大河ジャニューブの流域、そして南は大海原への玄関であるケタエラ地方というように、大陸中部のほぼ全域を覆っています。さらにルナー帝国は彼方の地にも隊商や外交団という形で接触し、グローランサ世界の動向に大きく関わっているのです。

【暦法】

 ルナー帝国では、ドラゴン・パスやプラックスで一般的な太陽暦のかわりに「ルナー暦」とでもいうべき独特な暦法が用いられています。これは、主神であり建国者である赤の女神が赤き月として昇天した翌年(太陽暦1248年)を元年として、54年周期を「1ウェイン」と数え、年代は「ウェイン/年」と表記されるというものです。例えば、3/12ならば第3ウェインの12年目、すなわち太陽暦1367年を指すわけです。なお、赤の女神が地上にいた期間は第0ウェインと呼ばれます。


レッドムーン・ライジング...ルナー帝国小史

 第三期に勃興したルナー帝国は、四百年の間に急速な伸張を遂げました。その活動は、ルナー暦でいうところの「ウェイン」ごとに次のように大きく区切ることができます。

第0ウェイン赤の女神の復活。帝国の建国とペローリア征服。女神昇天。
第1ウェイン赤の皇帝の統治始まる。積極的な拡張政策により版図が急速に拡大。
第2ウェイン西域の征服。フワーレン・ダールシッパの南方遠征。
第3ウェイン遊牧民の大侵攻。ヤーラ・アラーニスの遠征。
第4ウェインシェン・セレリスとの熾烈な戦争と勝利。
第5ウェインホン・イールの活躍。シンディック大封鎖が始まり、平和の時代が到来。
第6ウェイン平穏期。帝国内の腐敗と堕落が深刻化する。
第7ウェインドラゴン・パスの征服。ジャ・イールの活躍。

 しかしルナー帝国は広大な版図を抱え、その領内ではさまざまな事件が同時多発的に起きています。そのすべてを紹介するのは無理があるので、ここでは帝国の成立に至る経緯と、現在のドラゴン・パス情勢に関係する歴史的事件に限って概説してみたいと思います。

赤の女神の復活【第0ウェイン】

 太陽暦1220年、ペローリアの小都市トーランで、七人の英雄たちによる大きな儀式が行われました。この神降ろしの業により、神代以来この世から姿を消していた月の女神がひとりの人間の娘の姿で復活を遂げたのです。この偉業を成し遂げた英雄たちは、後にルナー帝国で「七母神」(男性もいたのですが)と呼ばれる帝国の守護神として尊崇されるようになりました。

 当時、太陽文明の中心地であるオスリル河畔のダラ・ハッパ地方も含むペローリアはカルマニア帝国という西方人によって建てられた一大強国によって支配されていました。そうでない地域も分裂と乱世のさなかにありました。復活した女神はトーランを首都としてペローリアの解放戦争に打って出ました。このとき最初に女神の版図となった地域は「原聖地」(最初に祝福されし地)と呼ばれ、最初の君主領となりました。

 女神の国「ルナー女王国」の行く手には幾多の敵が立ちはだかりました。最初の大きな壁は、東方のペント平原から襲来した遊牧民の軍勢でした。ルナー軍は女神と配下の魔術師たちが放つ魔法の助けを借りて、荒野の乗り手の大軍を撃退することに成功しました。その一方で、シャー・ウン族という部族は女神に忠誠を誓い、女王国の東方国境の藩塀として内地へと移住を許されました。以来、ルナー軍には強力な遊牧騎兵が加わることになったのです。

 遊牧民との戦いの後、女神は異界の探索行に旅立ちました。しかし彼女はその途中で超自然的な罠に囚われてしまったのです。このことに気づいたカルマニア帝国は、主無きルナー女王国に対して大規模な再征服軍を送り込みました。七母神のひとりヤーナファル・ターニルズ公は女神救出へと赴き、残りの七母神たちはルナーの民を率いてこの絶体絶命の危機に立ち向かいました。こうして世に言う「第一次混沌会戦」が幕を開けました。

 殺到するカルマニア軍は原聖地を蹂躙し、首都トーランを包囲しました。駆けつけたシャー・ウン族の騎兵隊は果敢にカルマニアの騎士隊に突撃を敢行し、トーランは五度の総攻撃に耐え抜きました。傭兵も各地で雇われ参戦しました。しかしそれでもカルマニア軍の数は圧倒的でした。そしてついに七母神のうち二人までもが殺され、ルナーの運命がきわまったかに思えたそのとき、混沌の魔獣クリムゾン・バットに乗って、赤の女神が帰還したのです。

 クリムゾン・バットは敵軍に死と狂気をまき散らしました。無数のカルマニア勢が無惨な死を遂げ、永遠に狂い果てました。生き残った兵士たちは本国へと逃げ帰り、ルナーの呼び起こした恐るべき邪悪について方々で語りました。ルナー女王国は建国以来最大の危機を乗り切りました。しかしそれは大きな禍根を残しました。このとき醸成されたルナーへの憎悪と恐怖は、この後ずっとルナーの足かせとなって残ることになったからです。

 原聖地での覇権を確立した赤の女神は、いよいよ本格的なペローリア全域の征服活動に乗り出しました。「第一次混沌会戦」でカルマニアが負った傷はあまりにも大きく、これ以降、戦いの主導権はルナーの側に移ったのです。ルナー軍はオスリル河畔の諸国、特にダラ・ハッパ文明の中心地である三大都市(トライポリス)の解放に全力をあげました。長い間、西方人の支配のもとで辛酸をなめてきたダラ・ハッパ文明の子孫たちは、女神の到来とともに蜂起して、カルマニアのくびきを解き放ちました。女神の軍勢はダラ・ハッパを席巻し、数年の間に全土の解放に成功したのです。

 ルナーとカルマニア、この宿敵どうしの戦争はダラ・ハッパ解放の後も十年の間続きました。そしてついに最終決戦の時がやってきました。劣勢に業を煮やしたカルマニア人は、自分たちの守護神を召喚して、ルナーの女神の力を打ち砕こうとしたのです。この大がかりな儀式は数ヶ月を擁し、その間にルナー女王国はペローリア平原の大半の制圧に成功しました。

 そしてカルマニアの神々は王都ドールベリーに召喚されました。死の戦神フマクトを筆頭とした神々は、闇の力を駆使して、赤の女神が差し向けた混沌の怪物や精霊を次々と打ち破りました。神々の巨大な影をバックにしたカルマニアの大軍勢と、七母神と女神の力を後ろ盾としたルナーの侵攻軍(このときはじめて赤の皇帝が姿を現しました)は、最後の会戦に打って出ました。闇の力を振るうカルマニアの神々と、光の力を振るうルナーの女神とそのしもべたちの激烈な戦いは「四本の光の矢の戦い」として後世に伝えられました。イリピー・オントール、ヤーナファル・ターニルズ、「純粋なる空の光の矢」、そして女神自身の放った矢、の四本がカルマニアの神々を打ち砕きました。決着はついたのです。王都ドールベリーは炎上、カルマニア帝国はその力の大半を失って潰走しました。ペローリアにおけるルナーの支配が決定的なものとなったのです。

 赤の女神とルナー女王国の前に立ちふさがった最後の壁は、グローランサの神々によって神として認められるための試練でした。神秘的なオローニン湖のただ中に建つ謎の「青の城」に赴いた赤の女神は、そこで赤の女神の脅威に対抗するべく参集した他の神々や英雄たちから挑戦を受けました。神話と現世との境目にすらほころびを生じさせるほどの激烈かつ神秘的な二年間に渡る戦いの末、女神は勝利をおさめ、他の神々によって新たな神として認められるに至りました。

 神として認められ、自らの帝国の建設を成し遂げた赤の女神は、地上における最後の「踊り」を行いました。そして踊りの場の地面を身にまとい、そのまま天空へと舞い上がって赤き月となったのです。地上には大きなクレーターとそのわきに建つ壮麗な帝都グラマー(第一の月の息子)、そして女神の息子である赤の皇帝が残されました。

 かくして、ルナー帝国は成立しました。

帝国の進出【第1ウェイン】

 女神の昇天が明らかになると、カルマニアの残党はルナー帝国に対して反攻作戦を開始しました。第1ウェインを通して、この帝国の「西域」の勢力との散発的な戦いが続けられました。この一連の戦いは「血王戦役」と呼ばれ、最終的には第2ウェインに帝国の勝利によって決着が付きました。

 一方、有力な敵がいなくなったルナー帝国内部では、独立性を保っていたダラ・ハッパ諸都市と帝国政府との関係が険悪化していきました。そしてトライポリス(ダラ・ハッパ三大都市:アルコス、ライバンス、ユスッパ)は、イムサー地方出身のジャニソールという英雄を筆頭に、帝国に対して反旗をひるがえしたのです。ジャニソールは、「第一次混沌会戦」で気がふれた人々をトルク地方に封じ込めるという勲功をたて“混沌の縛り手”という異名を持っていました。ダラ・ハッパ軍と志願兵の連合軍は彼に率いられて帝国軍を撃破し、帝都グラマーへと侵攻しました。グラマーの「外市」を突破し、内部へと突入したジャニソールでしたが、しかしそこで敵の力を見誤り、ルナーの英雄ツインスター(星の双子)に敗れて殺されました。指導者を失った反乱軍は壊滅しました。帝国による反乱の鎮圧は苛烈で、これ以後、ダラ・ハッパの諸都市は完全にルナーの支配下に屈することになったのです。

 この時期、ペローリア南部にはまだ帝国の版図に組み入れられていない地域が残っていました。帝国の支配を嫌って南へ逃げ延びたダラ・ハッパの人々やオスリル河畔の民は、ダラ・ニと呼ばれる地方に集まり、近隣のエルフやシリーラ地方の蛮族と手を結んで、帝国に対する一大反抗拠点を築いていました。

 彼らに対して、赤の皇帝は強硬手段に打って出ました。北の森林地帯でシャー・ウン族がエルフの森を焼き払うために用いた恐るべき炎の魔術が、ルナーによってこの征服戦争で使われました。幸い、魔法は本来の威力を発揮せず、この地が焼け野原になることは避けられました。しかし、エルフたちは故郷を失い、北の同族ともども、はるか西方のフロネラか、あるいは混沌の地ドラストールへの逃亡を余儀なくされたのです。この時以来、エルフはルナー帝国に対して抜きがたい憎悪を抱いて今に至っています。

“征服の娘”フワーレン・ダールシッパ【第2ウェイン】

 第2ウェインに、西域およびペローリア南部での戦争は決着を見ました。西域では、血王戦役の終結後、新たにバインドル王国という勢力が淡水海東岸に勢力を築き、帝国領に侵攻を開始しました。しかし彼らはシャー・ウン族を激怒させるという愚を犯し、復讐に猛り狂った遊牧民の騎馬隊の前に滅亡しました。バインドルの崩壊によって、帝国の西域の政情はようやく安定しました。長きに渡る戦禍で荒廃した地域は急ピッチで進められ、現地住民の改宗も進められました。しかし、この後も西域は帝国内にあって統治しにくい地方であり続け、現在に至るまで半ば自治領のような扱いを受けています。

 第2ウェインにおける南方征服に大きな役割を果たしたのが、ルナーの英雄“第二の月の息子”フワーレン・ダールシッパでした。彼女は前ウェインの戦いで無人の野となってしまったペローリア南部地域の再植民に力を入れ、辺境の安定化に務めました。ダールシッパはシリーラ地方の蛮族の長と結婚し、その地域一帯を君主領として帝国の版図に組み入れました。その頃も抵抗を続けていたダラ・ニの反帝国分子たちは、自分たちが挟み撃ちにされることを恐れ、絶望的な魔術を敢行しました。が、ルナーの魔術力には抗すべくもなく、あくまで帝国の支配を嫌い、川の上流(南方)へと亡命した河畔の民以外の者は、帝国に屈服したのです。

 しかし、シリーラの征服は、南方の蛮族たちにルナー帝国に対する強い敵意と警戒心を抱かせました。ヴァンチ、アガーといった地域で反帝国運動が盛んになり、オスリル河と黒ウナギ川の合流点には堅固な要塞ミリンズ・クロスが建設されました。自分とシリーラ族長との間の息子が殺され、夫も溺死の憂き目にあうに至って、フワーレン・ダールシッパは叙事詩にうたわれる有名な「娘の路戦役」を開始しました。

 数年かけて準備を整えたフワーレンは、息子が暗殺されたジラーロの橋の上で、軍用ユニコーンにまたがり、赤い仮面をかぶって夫と息子の復讐を誓い、そして自分の行軍路に沿ってまっすぐな道を敷き始めました。ミリンズ・クロスでは蛮族たちの大軍勢が難攻不落の要塞とともに待ち受けていました。武力と魔術を駆使した激烈な戦いがルナー軍と蛮族軍との間で繰り広げられ、要塞の周りは屍が累々と横たわりました。そしてこのとき、きらめく水晶でできた道が、フワーレンの引いた道に沿って黒ウナギ川を渡ってミリンズ・クロスへと伸びたのです。この魔法の道を渡って、ルナー軍は要塞に殺到しました。血みどろの戦いの末、ミリンズ・クロスは陥落しました。

 この「娘の路」はインヴァレス湖岸のフィリチェットの街まで伸びていき、そこでフワーレンは蛮族諸部族の降伏を受け入れました。この後、彼女は故郷ジラーロへ一旦帰還した後、翌年に再び出征しました。今度は、シリーラから東にオスリル河を渡り、ヴァンチの蛮族を屈服させて道路建設にあたらせました。

 3/3年(太陽暦1358年)、フワーレンはジラーロの宮殿に自分の彫像が建ったその晩、謎の暗殺者によって殺害され、クレバスへと投げ込まれました。以来、彼女は女戦士、主婦、そして芸術を愛する者たちに信仰される女神となり、そのクレバスは聖地として彼女の信者に崇められるようになりました。

遊牧民の大侵攻とヤーラ・アラーニス【第3ウェイン】

 第3ウェインには、ルナー帝国最大の敵が現れました。その名はシェン・セレリス。ペント平原の遊牧民たちの英雄であり半神であったこの男は、赤の女神に公然と刃向かえるほどの強力な魔術を持って、拡大を続けていたルナー帝国の前に立ちふさがりました。3/20年(太陽暦1375年)、シェン・セレリスは遊牧民の大軍勢を組織して、ペローリアへと一挙になだれ込んだのです。彼らの侵略を受けた地域はその猛威に恐れおののき、そこの住民は帝国中部へ逃げ出すか、あるいは敵軍に身を投じました。シェン・セレリスの大軍勢は、遭遇する都市という都市、寺院という寺院を徹底的に略奪し、破壊し、無人の廃墟へと変えていきました。ユスッパで行われた最初の大会戦では、ルナーの重装歩兵隊は叩きつぶされ、市の門はシェンの魔術によって破られました。その後の大虐殺によってユスッパ市は灰燼に帰したのです。

 この時期、ルナー政府がオスリル河の精霊たちとの関係をこじれさせていたことが、戦局を急速に悪化させました。ルナーの輸送船団が転覆する一方で、遊牧民の軍勢は何の障害もなく渡河に成功したのです。オスリル河の防衛線を突破した彼らによって、ペローリア平原は蹂躙され尽くされました。運良く命を長らえた人々は、西域やまだ戦禍がそれほどひどく及んでいなかったシリーラ君主領、あるいは皇帝と女神のお膝元である「銀の影」君主領へと逃げていきました(西域から淡水海を渡ってフロネラ地方へ逃げた人々は、地元のヴァルマーク王国に受け入れられ、大河ジャニューブ河畔に三つの植民都市を建設しました。この後、フロネラの植民都市は帝国の動静にほとんど影響を与えませんでしたが、彼らの子孫は現在もルナー風の生活様式を守りながら、フロネラで暮らしています)。

 しかし帝国も黙ってシェンたちの蛮行を見過ごしていたわけではありませんでした。シリーラでは蛮族たちの補給線を断つべく通商破壊作戦が展開されましたし、ルナーの魔術師たちの尽力で、オスリル河の精霊たちをなんとか支配下に取り戻しました。それでも、蛮族の侵攻はとどまるところを知らず、3/34年(太陽暦1389年)には、ついにシェン・セレリス率いる大軍勢はグラマー外市にまで迫ったのです。

 シェン・セレリスは市の門で赤の皇帝と一対一の壮絶な戦いを展開しました。どちらも相手に傷を負わせることはできなかったものの、シェンは退き、すでに疫病によって弱っていた蛮族軍も帝都から撤退していきました。しかし、すでに十年もの間、ルナー軍は野戦で一度も勝利をおさめることができないでいました。

 この状況に一抹の光明をもたらしたのは、ダラ・ハッパを救援するべく北上したシリーラ軍でした。彼らは遊牧民の騎兵隊を打ち破り、帝国軍本隊との合流を果たしたのです。戦力の回復にかろうじて成功した帝国軍は、その後も一進一退を繰り返しました。決定的な勝利をいずれの側もおさめることができないまま、この破滅的な戦争は第4ウェインまでもつれこんでいきました。ルナーの人々は遊牧民の手から取り戻した土地の復興に着手しましたが、それでも遊牧民はまだペローリアのかなりの部分を占領し続けたのです。

 ところで、遊牧民やその他の蛮族に対する帝国の切り札はもうひとつありました。“馬喰らい”ヤーラ・アラーニスでした。彼女は、シェン・セレリスの軍勢に対抗するために、ペントの遊牧民が怖れる地獄の妖魔と赤の皇帝の間に作られた英雄でした。ヤーラ・アラーニスは、自分の寺院を襲う遊牧民をその魔力で奴隷と化し、やがて“昇月の女神”として「グローライン」を作り出す力を発現させました。グローラインとは、彼女の寺院から発生し、帝国に対する魔術的な攻撃を防ぎ止めることができる広大な魔法障壁のことです(透明な赤いドーム状に見えます)。ヤーラ・アラーニスの「昇月の寺院」は、危険な地域や重要な地域に建設され、ルナー帝国の強力な対魔法領域を形成したのです。第3ウェインの終わりに、彼女はルナー神殿の女神のひとりとして神格化されました。

シェン・セレリスの敗北【第4ウェイン】

 第4ウェインに入っても、遊牧民の脅威はまだ去ってはいませんでした。ルナー軍の懸命の防戦と、ヤーラ・アラーニスの加護の力によって、かろうじてルナー帝国は崩壊をまぬがれていたのです。いまだ多数の都市は遊牧民たちに従属を余儀なくされていましたし、加えて、改宗して帝国に組み込まれた南方のオーランス人たちも、いつなんどき反旗を翻すかわからない不安定な状態にありました。そしてペローリア平原の大部分は、遊牧民の放牧場と化していました。

 しかし、帝国の力が保持されている場所では、それなりの平穏が取り戻されつつありました。グラマー周辺や「昇月の寺院」近郊ではルナーの力は確固たるものでしたし、シリーラの辺境では、南方から蛮族王国ターシュの圧迫が強まっていたものの、“征服の娘”の築いた防衛ラインを守って、中心部への侵攻は許していませんでした。セーブルの民も「渇きの高原」周辺でペントの侵略者たちを果敢に攻撃していました。西域でもルナー文明は堅持されていました。蛮族の侵攻で破壊された都市では再建が進められていました。こうした状況下で、少しずつ帝国は大反攻のための力を蓄えていったのです。

 そして4/34年(太陽暦1443年)、情勢は動き始めました。シェン・セレリスは突然、第3ウェインに赤の皇帝とやり合ったとき、皇帝の力の一部を盗み取っていたことを明らかにしました。コスターディ地方全土は、皇帝の主権を奪い取ったシェンの膝下に屈し、怨敵打倒のために急行したヤーラ・アラーニスも彼の前にあっけなく敗れ去ってしまいました。そして皇帝自身も謎の病によって伏せってしまったのです。さらに悪いことに、その一年後、赤き月がかげり、シェン・セレリスがペローリアの神々によって神格化されました。彼の強大な力は天空に輝くひとつの星として出現しました。彼は占領地からの貢ぎ物と礼拝を要求し、最終決戦に向けて軍勢を集結させ始めました。赤の皇帝は、病を癒すためにその身を隠しました。再び、帝国は滅亡の淵に立たされたのです。

 4/35年(太陽暦1444年)、シェン・セレリスは皇帝を抹殺するべく探索行を開始しました。「月の息子」たちがその行く手を阻もうとしましたが、彼を足止めするたびに帝国は多大な損害をこうむりました。4/37(太陽暦1446年)年、セーブルの民は皇帝が逃げる時間を稼ぐためにシェン・セレリスに立ち向かい、その王家は全滅の憂き目を見ました。遊牧民の占領地全土でトロウル狩りが始まり、この中で「青の月」の大女祭までもが襲われ傷ついたのです。

 不死の皇帝を完全に滅ぼすべく、シェン・セレリスは帝国のどの敵もなしえなかったほど深くまで侵攻しました。彼はクレーターに飛び込み、そこから赤き月そのものへと飛翔したのです。月の皇帝宮殿を襲撃し、住民を大虐殺したシェンですが、肝心の皇帝の姿を見失ってしまいました。一方、シェンの追撃をかわした皇帝は、その後十一年の間、ドブリアン・シティで刺繍女のふりをして逃亡生活を送りながら、反撃の機が熟するのを待ちました。

 最後の決戦は、4/47(太陽暦1456年)年に起こりました。皇帝の呪文は完成し、その兆しがペローリア低地全土に現れました。蛮族の軍勢はシェン・セレリスのもとに集合し、帝国の精鋭軍団は真鍮山脈の中にある都市カイトールに集結して敵の到来を待ち受けました。翌日、魔術の炎が全市に降り注ぎ、カイトールは火に包まれました。太古の樫の木が魔術によって歪められ、蛮族の戦士たちの魂を吸い取り、閉じこめました。ルナー魔術によって石に変えられた者もいました。罠にかかったシェン・セレリスの魂は奈落の深淵へとたたき落とされ、ヤーラ・アラーニスの母親をはじめとする地獄の妖魔のあぎとにしっかりとくわえ込まれたのです。

 英雄を失った蛮族軍は、ペローリアから一斉に撤退を始めました。帝国軍は多大な被害をこうむっていましたが、それでも長年にわたって故郷を蹂躙してきた宿敵を容赦なく追撃しました。4/52年(太陽暦1461年)、カランテス市近郊での大会戦で、ルナー魔術の前に遊牧民たちは総崩れとなり、屈辱的な和議を結ぶはめになりました。この和議がすぐに破れると、翌年、皇帝はさらに彼らを征伐しました。さらに一年後、帝国軍はユスッパで総退却中の蛮族軍を女子供も含めて壊滅させました。このときの虐殺はすさまじく、川は血で赤く染まったと伝えられています。大虐殺を生き残ったわずかな遊牧民たちは故地ペントへと逃げ帰り、ついにルナー帝国は遊牧民の脅威をしりぞけることに成功したのです。

 一方その頃、南方の情勢には暗雲がたれ込めていました。ターシュ王国をはじめとするオーランス人たちが、ルナー帝国領に対する略奪活動を強めていたのです。シリーラは中央を除いて甚大な被害を受け、コスターディやダージーンも襲撃の犠牲になりました。しかし、ターシュ王“長き腕”オライオスは、狂気領として悪名高いトルク地方に誤って足を踏み入れてしまい、これが英雄ジャニソールによって中に封じられていた狂人や悪霊を解き放つ結果になってしまいました。これによってターシュ軍は王を失い、壊滅的な打撃を受けたのです。そして、ターシュはこの後王位継承を巡る内紛に陥ることになったのです。

“踊り子”ホン・イール【第5ウェイン】

 第5ウェインのルナー帝国は、“第三の月の息子”にして“技芸の女”“踊り子”と呼ばれる英雄ホン・イールの活動を中心に動きました。

 シェン・セレリスと蛮族軍の主力は壊滅したものの、ペローリア平原ではまだ遊牧民たちが放牧生活を営んでいましたし、ところによっては定住民を支配して貢ぎ物をとりたてていることもありました。同じ頃、南方でもターシュ王国による襲撃と侵略が激しさを増していました。その一方で、長らく遊牧民の支配を受けていたヴァンチ、イムサー、ホーレイ、セアードといった属領地は、七母神の伝道師たちの活動によってルナーの教えに回帰しました。

 5/2年(太陽暦1465年)、ルナー軍は原聖地のガンバリ近郊に行われた「鉄柵の戦い」で、遊牧民君主の最後の生き残りたちを追い払いました。ペローリアから完全に遊牧民の支配は駆逐されたのです。

 ホン・イールが最初の偉業を成し遂げたのは、ドブリアン・シティでのことでした。この街は、彼女の活躍によって七母神の手を借りることなくペント人を追い払うことに成功しました。まず、ホン・イールは旅の踊り子として多くのペント貴族たちを魅了し、互いに殺し合わせて半数を死に至らしめました。また、二人の貴族を裏切って別の貴族と結婚し、その男に親族を皆殺しにさせたあげく、実の母の呪いで死ぬよう仕向けました。無理矢理ホン・イールをモノにしようとした三人の蛮族は、あっさり返り討ちにされました。最後に生き残ったひとりは、この悪女を殺そうとしたところを、彼女の味方の待ち伏せにあって討ち果たされたのです。かくして、ドブリアンは蛮族君主のくびきから解放されました。

 また、4/52年(太陽暦1461年)には、「曙」以来、ドブリアンとその周辺をおびやかしてきた竜のロスドロス・アングスールに立ち向かい、何らかの方法で竜を追い払いました。この竜はホン・イールが死ぬまで再び姿を現すことはありませんでした。

 第5ウェインの開幕を祝するグラマーの大祭のさなか、ホン・イールは父である赤の皇帝にはじめて謁見を賜りました。彼女はシェン・セレリスの災禍を避けるため、平民としてドブリアン・シティに隠されていたのです。このときまだ数え年で十八歳でしかなかったホン・イールは、すでに十年前には成人女性になっていたといいます。魔術と数々の技に長け、無垢な魅力と母のような包容力に富んだ彼女は、故国の解放と父への奉仕にそれを充分に活かしました。特に賞賛されているのは、戦禍によって荒廃していたライバンスと原聖地の復興にホン・イールはいかんなく魔術の才を発揮して貢献したということです。

 ホン・イールは十二歳でカルトの司祭となり、十九歳で月に初めて赴き、二十四歳にはヒーロークエストに旅立ちました。この探索行で、彼女はエルフの神と恋仲となり、黄金の髪の息子と特別な種を袋一杯に手に入れたのです。この息子は残念ながら夭折しましたが、種は南部の土地に蒔かれて、その地域全体にトウモロコシを広めました。ホン・イール自身が自らを大地の女神の化身のように振る舞ったこともあって、今日では彼女はルナーの大地の女神にしてトウモロコシの母として崇められています。彼女は特に辺境地域で活発にはたらいたので、そうした辺地で篤く信仰されています。ホン・イールは本質的に平和的な英雄でした。彼女が政治的な動きをするのは、父帝の意向があったわけですが、ホン・イール自身がそれにさからおうとはしなかったのも事実です。実際、ドブリアンの解放に至る謀略劇も、赤の皇帝の意向がはたらいていたのでしょう。

 もうひとつ、ホン・イールの偉業として有名なのが、オラーヤ地方への入植活動でした。ペントの遊牧民がはるか遠くまで追い払われたことで、オラーヤの地ははじめて安全に入植可能な状態となったのです。皇帝は勅書を出して移民を募り、それをホン・イールが率いて原野へと分け入っていきました。移民はいろいろな地域の出身者から成っており、中には戦乱の巷と化したフロネラから逃げ出してきた者もいたほどでした。

 入植を成功させるため、ホン・イールは現地に住んでいた騎馬の民と交渉し、時には試練を受け、時には戦って打ち破りました。彼女はここでその最大の偉業ともされる「太陽との結婚」をその巧みな踊りの技と魔術の才能によって完遂しました。ホン・イールに敗れた騎馬の民はオラーヤを去り、この地は帝国領に組み込まれたのです。

 5/27年(太陽暦1493年)、ホン・イールは南方のターシュ王国の大地のカルトに入り込み、そこにルナーの教えを浸透させていきました。やがてターシュ王と結婚した彼女は、息子をひとり残してターシュを去りました。そのことがターシュ内戦を引き起こしたのです。彼女の息子であるフォロネステス王子は、ルナーの総督の後ろ盾を受けて、十六歳でターシュの玉座に登りました。こうして長年にわたって帝国南方をおびやかしてきた蛮族王国は、ルナーの掌中に落ちたのです。

 5/40年(太陽暦1506年)、東に追われた遊牧民の最後の逆襲が始まりました。5/43年には、オラーヤを占領した彼らに対して帝国は大軍を送り込み、決戦の火蓋が切って落とされたのです。「恐怖の夜」と後に呼ばれるようになったこの戦いには実に双方併せて十五万人もの人員が参加し、魔術と魔術がぶつかり合うすさまじい激闘が二日間にわたって続きました。この戦いには赤の皇帝とホン・イールも参戦して、遊牧民の呼んだ強力な魔術師たちと超自然の戦いを繰り広げました。しかし、ホン・イールの奮戦もむなしくルナー帝国軍は次第に押され、劣勢に陥りました。このとき、赤の皇帝は、最後の切り札として混沌の力を戦場に呼び込み、その場を異世界へと変貌させました。遊牧民の魔術師たちの呼んだ精霊と混沌との怖ろしい争いが始まり、その場にいた者たちは全員が逃げ出したのです。ホン・イール自身も、この混戦の中で命を落としました。

 「恐怖の夜」を生き延びられた者はほんのひとにぎりでしかありませんでした。これは「ドラゴンキル戦争」の被害にも匹敵するほどの大打撃を帝国・遊牧民双方にもたらしたのです。両勢力ともに軍勢を引き上げざるをえませんでした。帝国は休息のために拡大政策を中断し、帝国内では内向きの政策がとられるようになりました。第5ウェインはこうして、戦後の平穏な時期に入ったところで終わりを告げたのです。

南方侵攻【第6〜7ウェイン】

 遊牧民の脅威が去り、西域もフロネラの「シンディック大封鎖」によって安定したルナー帝国は、第6ウェイン以降、本国では平和を謳歌するようになりましたが、内部では文明が爛熟するに従って退廃が深まり、そして官僚や組織の汚職などがまんえんするようになっていきました。その一方で、南方に向けての征服活動は強力に推し進められていったのです。また、7/17年(太陽暦1588年)には、“第四の月の息子”である“剃刀”ジャ・イールが生まれました。彼女は数世代かけて作り上げられた完璧な天才であり、不老不死をも獲得したルナーの英雄です。生まれた翌年にはフロネラへの探検隊に参加し、すでに数々の勲功をあげています。彼女は帝国の南方に際して決定的な勝利をいくつもおさめました。

 6/28年(太陽暦1545年)、ターシュで反ルナーの王が立ち、内戦が勃発しました。十年後、帝国は玉座を追われたフィリゴス王を助けるべく、その弟ファージェンテスを総督とする属領地政府をミリンズ・クロスの街に設置して、内戦の鎮圧に乗り出しました。反乱側の王は敗れて殺され、戦死したフィリゴスに代わってファージェンテスがターシュ王位につきました。彼はターシュに積極的にルナー文化を導入し、それに反発する者たちには容赦のない制裁を加えたのです。ファージェンテスの死後も散発的に反乱が続きましたが、7/11年(太陽暦1582年)、最後の組織的反乱が壊滅し、ターシュは完全に征服されました。7/19年(太陽暦1590年)には、小規模な蜂起もおさまり、ドラゴン・パス北西部は帝国の属領地として鎮静化したのです。

 ドラゴン・パスへの橋頭堡としてターシュ王国を掌中におさめた帝国は、次に南東部に強い勢力を張っていたオーランス人の部族連合王国サーターを屈服させるべく、軍勢を繰り出し、さまざまな手を打ちました。サーター王国も、ドラゴン・パスの諸勢力や南方の聖王国と同盟を結んだりすることでルナーの侵攻に抵抗しましたが、統率のとれた帝国の攻勢に抗しきれず、次第に劣勢に陥っていきました。

 7/31年(太陽暦1602年)、ルナー帝国はサーターを粉砕するべく大規模な軍事行動を起こしました。赤の皇帝自らが英雄ジャ・イールを連れてドラゴン・パスに入り、一路南下しました。サーター側もフマクトの戦士団“死の一門”を先頭にターシュへと進撃しましたが、ターシュの昇月の寺院が作りだしたグローラインの力によって、あえなく敗れ去りました。そして、サーターの要衝ルーンゲート砦で主力軍は対峙しました。ルナー軍はアップランド湿原から押し出した死人の軍勢を使って砦を攻撃し、サーター軍は懸命に防戦しました。しかし、次の夜、北方から恐るべきクリムゾン・バットが来襲し、砦の守備隊と街の住人とをむさぼり食ったのです。サーター王サリナーグはかろうじてこの惨禍をまぬがれ、南に撤退しました。

 勝利に乗じて赤の皇帝は南へと迂回し、ダックポイントを無血開城させると、ウィルムズチャーチの街を攻撃しました。このサーター最初の都市も、ルナー近衛部隊の猛攻によって陥落しました。サリナーグ王はウィルムズチャーチを救えず、奇襲にも失敗してやむなく首都ボールドホームへと退却していきました。

 翌日、ボールドホーム攻略が始まりました。この絶望的な戦いを前に、住人の多くが市外へと落ち延びました。聖王国からの援軍は到着することなく撃破され、頼みのポル・ジョニ族もプラックスのルナー同盟軍に敗れ去りました。絶望的な戦いの中、ボールドホーム守備軍はよく戦いました。クリムゾン・バットは突如現れたドラゴンと激しい格闘を演じ、ボールドホーム上空では魔術の防壁と攻撃魔術が火花を散らしました。ルナーの女司祭たちはオーランス寺院への空襲を敢行し、オーランスの戦士たちとの激しい血みどろの戦いを繰り広げました。ジャ・イールはこの攻略の陣頭指揮をとりました。

 やがてドラゴニュートの傭兵部隊が城壁から市内へとなだれ込みました。サーターの寺院は汚され、魔力は奪いつくされました。サーター王国最後の生き残りたちは、ある者は死ぬまで戦い、ある者は奇跡的に脱出に成功しました。捕らえられたものは殺されたり、奴隷として売り払われました。王家と“死の一門”は誰ひとり生き残りませんでした。ルナー軍は首都と街を占領して、占領統治を始め、サーターのすべての部族に税をかけました。かくして、サーター王国は征服されたのです。

 サーターの崩壊後、ルナー軍は念願の海港を手に入れるという大目的のため、南方の聖王国を制圧するべくさらに進撃しました。しかしこの試みは、7/34年(太陽暦1605年)の「ビルディングウォールの戦い」でいったん頓挫しました。エスロリアとドラゴン・パスを隔てるこの巨大な長城の前に、さしものルナー軍も攻めあぐねて撤退したのです。

 この敗北にこりた帝国は、目をプラックスに向けました。7/39年(太陽暦1610年)から数年をかけて、ルナー軍はプラックス地方の制圧に力を注ぎ、プラックス唯一の川ゾーラ・フェル沿岸を手中におさめると、河口にコーフルー港を築きました。これとほぼ時を同じくして、ルナー帝国はディターリの民を扇動して聖王国に攻め入らせました。この戦いは聖王国を損耗させましたし、ちょうど海賊「海の狼」が大艦隊を率いて沿岸部を荒らし回りもしたのです。聖王国は徐々に追いつめられていきました。一方、サーターでは英雄カリル・スターブロウに率いられた「スターブロウの反乱」が7/42年(太陽暦1613年)に起きましたが、属領地軍司令“博識”ファザール将軍の迅速な対応によってすみやかに粉砕されました。反乱の頭目カリルとその腹心たちは逃亡しました。

 7/45年(太陽暦1616年)、ファラオの再生の儀式の最中に、ジャ・イールが聖王国の首都「驚異の都」を急襲しました。この事件によって、聖王国の指導者は肉体を失い、この世から姿を消しました。不死の王を失った聖王国は一挙に大混乱に陥りました。東部のヒョルトランドは、西方からやってきた一神教徒に占領され、エスロリアも傭兵隊長グレイメインの襲撃を受けて大きな被害をこうむりました。そして7/48年(太陽暦1619年)、プラックスの海港コーフルーから出撃したルナー艦隊によって、聖王国の大都市カーシーが奇襲を受けて陥落しました。同時に、サーターからルナー軍が陸路を通ってヒョルトランドに侵攻し、ヴォルサクシ族の都市ホワイトウォールをのぞく全域を征服しました。一神教徒の支配者たちも翌年ルナー軍の前に敗れ去りました。かくして、ついにルナー帝国は海に出ることに成功したのです。

反乱前夜【現在】

 7/50年(太陽暦1621年)現在、ルナー軍は、ヒョルトランド最後の拠点であるホワイトウォールの今年中の攻略を宣言しています。しかし、属領地軍の中でファザール将軍をライバルたちの間で主導権争いが起きており、事実、エスロリア制圧の軍は計画されながらも実現しませんでした。サーターやヒョルトランドでは依然として帝国に対する根強い反感が存在し、いつ再び反乱の火の手があがっても不思議ではない状態にあります。


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